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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

芭蕉翁奥之細道行脚より三百年記念

浜松市中区菅原町はJR東海道本線高架北側に堀留ポッポ道という緑道がある。国鉄浜松工場の工場線跡地を整備した緑道で、ケ91タンク機関車が展示されているらしい。そこに「芭蕉翁奥之細道行脚より三百年記念」と題された脇起の歌仙碑が建つ。おくのほそ道の行脚開始は1689年。碑の裏面に「西暦一九八九年弥生建之」とある。

歌仙について

淡里・洞光・山外の三人による三十六句の歌仙形式で発句は〈秣負ふ人を枝折の夏野哉/翁〉、脇はたぶん〈時津風にて実る桜桃/淡里〉だろう。そして挙句は〈大凧小凧砂丘とよもす/執筆〉。くずし字と変体仮名が使われ知識がないと難読だが〈婚期過ぎると父母はやきもき/山外〉〈買い手と知らず馬が㒵出す/洞光〉など楽しい平句や〈バイブルを説き家路忘れし/淡里〉〈捨た児がサーカス団に生きている/山外〉など現代的なテーマの句もある。

登場人物について

詠人の三人は浜松市周辺で俳諧師連句を作っていた方々だろう。山外は浜松の佳月庵四世森月鼠の連衆だった松雪庵・神谷山外、洞光は「春惜むの巻」の独吟があり龍潭寺に〈朝々に金衣公子の節を見る/洞光〉や他に〈貝魚声あり月の舘山寺/洞光〉などの句碑がある雪心荘・白川洞光。淡里は小笠郡の耕雪庵・宮城淡里であること以外は詳しくは分からなかった。

芭蕉翁奥之細道行脚より三百年記念句碑、堀留ぽっぽ道
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第十二回十湖賞俳句大会

建国記念日、流通元町に建つ浜松市総合産業展示館北館四階のホールで開催された十湖賞俳句大会に、東区長賞受賞者として参加した。座席は最前列となった。


十湖賞東区長賞 風音の映りこむまで墓洗う 尾内以太

プロフェッショナルな司会のもと、表彰式は淡々とそして厳かに進んだ。十湖大賞の高校生が「プロ野球選手になりたい」と言っていたのが好印象、夢に向かって全力で挑戦し、もし一敗地に塗れても俳句があるのは幸いだ。表彰式のあとは審査員の評があった。小学生の部の十湖賞受賞句は全句切れだとか、中学生の部の十湖賞受賞句の「書初め」が季語の本意から外れるとか、内野からか外野からかは分からないけれど異論が出たようだ。選句は競走や競泳や競馬ではないのに。審査員の苦労がしのばれる。髙柳克弘氏が一般の部の奨励賞〈大地踏みヒップホップの若葉かな/松井美佳〉の句を例に「多様な俳句に対応できる十湖賞でありたい」と言っていたのが強く心に残った。「書初め」のアクセントがことごとく半袖式の遠州弁であったのと同じくらい心に残った。


十湖賞俳句大会

 

鉄塔の夢

底面が六畳ほどある直方体の鉄塔を昇っている。鉄塔の外側には隙間から下が覗ける鉄階段が据え付けられている。その鉄階段を集団で螺旋に昇っている。ディズニーランドの待ち行列のようになかなか上に進まない。前後の人と談笑する。鉄塔の頂きまで昇りつめる。そこには何もない。係員が、翼長の短い、白い、簡素なハングライダーを手渡す。これで地へ下りるらしい。そんなに高く昇った記憶がないのに、地から数百メートルの高さがある。林が小さく見える。後ろの行列がつかえている。覚悟を決める。ハングライダーの後部に両腕を吊るし、鉄塔を蹴る。

春近し飛ぶというより落ちている 以太

ことごとく未踏

非番。郵便局と図書館の用を済ませてクリエート浜松に寄ったら浜松文芸館俳人髙柳克弘の世界展「ことごとく未踏」をやっていたので寄る。推敲の痕跡を帳面にちゃんと残しているところに浜松的生真面目さを見る。会場中央に設けられた机のひきだしに、キューピー人形が入っている。手書き文字は上手い必要はない。人はみな帷子耀谷川俊太郎のようには書けない。謄写版時代ではなくワープロ以降の時代に生きたのならなおさらだ。けれど詩を書く以上は、たとえメモであっても手に染みついた構成力と味がどうしても要る、と思う。

ことごとく無糖なりけり冬の恋 以太

高柳克弘ことごとく未踏

 

800号記念麦全国大会

前日に新幹線で帰京。麦八〇〇号記念全国大会参加のため八時過ぎに宿泊先の実家を出て日暮里駅へ。月見寺こと本行寺の墓地を一周、俳人らしき集団を目撃する。他の句会かもしれず声はかけない。糸瓜垂れる子規庵でも俳人らしき集団を目撃する。大塚駅でステーキを食べ繊維街をまわりホテルラングウッドへ。全国大会で対馬康子会長の挨拶、作家賞の中山宙虫、新人賞の足立町子に続いて収穫祭特別選者賞の私が話す、「突然に月面へ放り出された感じ」とか言う。中村和弘現代俳句協会会長の講演、金子兜太の造型俳句より中島斌雄の新具象俳句の方が早いとか麦の俳句は季語の斡旋がユニークとか。講演中の引用句は〈密教の燭炎えあがり羊歯の谷/中島斌雄〉〈濁流で耳ふたぐ夜の杏煮る/中島斌雄〉〈雪原に建てて見捨てて己が墓/中島斌雄〉〈老年が指の尖まで鶴わたる/中島斌雄〉など。会場前の廊下で「原生林」欄でお世話になっている斉田仁に挨拶。祝賀会では有馬朗人・秋尾敏・井上弘美・筑紫磐井・角川俳句編集長に西村我尼吾らが参加する。麦人には日本女子大が多いけれど関係者には東大閥が多い。麦流の中締めは腕を頭の左右で大きな円を描くようにくの字に曲げ、掌を開き、「わっ」と言う。

麦全国大会

 

第二回浜松古本市

浜松駅の近く、旧東海道沿いにゆりの木通り商店街がある。そこで五月十九日に第二回浜松古本市が開催される。私は以外社を屋号として掲げ、素人古本屋として参加する。第一回浜松古本市は去年十月に鴨江アートセンターという屋内で開催され、第二回は商店街という屋外。午前九時にスーパーカブで乗りつけ、古本二十六冊を搬入する。ターポリンの迷彩シートを広げ、その上に古本を並べる。それから情報カードに宣伝文句と値段を書いて、それぞれの古本の頁に挟む。午前十時、二十店が準備を整え浜松古本市が始まる。宅建士セットを求めた女性を皮切りに、句集やエッセイや哲学書や小説などが次々と人手に渡る。『蠶體解剖生理敎科書』という痕跡本も女性が持ち去る。西遠女子学園の生徒が最果タヒの詩集『死んでしまう系のぼくらに』を鞄に入れて持ち帰ったときは、河合塾への通学途上にある第二回浜松古本市の立地におもしろさを感じる。計十冊の古本を頒けた十一時半、黒い雲が浜松市のまちなかへ迫る。雨が降り出す。私は迷彩シートを本の上に被せ、黒板とキッチンに避難する。いくつかの店はすでに撤収する。私は雨雲レーダーを睨みながらカレーライスを食べる。しばらくして雨が止む。私は迷彩シートを広げ直し、再び本を並べる。すでに三店しか残っていない。十二時半にはすっかり晴れる。外山恒一の『全共闘以後』初版本を含め計二十一冊頒けたとき、実行委員会から正式に中止が告げられる。古本が雨で濡れてしまった店があり、雨はいつまた降るか分からない。雨天中止となり、残念だと、ちゃんと思える。迷いのない態度で、実行委員会の面々はきびきびと跡片付けをする。段ボール箱へ残った古本五冊を入れて、私は会場を去る。

第二回浜松古本市

麦酒

「麦酒は売りません」とその人は言う。愛知県新城市鳳来寺の表参道脇に旧門谷小学校という廃校がある。その廃校でカフェ爾今主催の「スーク緑の十日間」というイベントが開催されている。スークではパンやフライパンが売られ、音楽が奏でられ、コーヒーが淹れられ、ヌメ革が彫られ、肉が焼かれ、子供が表参道沿いの音為川まで下りて川遊びをする。私は五月四日にスークを訪れる。そして、地鶏を扱う焼き鳥屋で葱間を三本注文して焼き上がるのを待つ。すると子連れの男が来て、焼き鳥屋に「麦酒を下さい」とテント奥の麦酒サーバーを指して言う。焼き鳥屋は「申し訳ありません。この麦酒は売っていないんですよ」と応える。子連れの男は「でも、それ普通の麦酒じゃないんですよね」と言う。子連れ男は事情通らしい。焼き鳥屋は「はい。掛川の地麦酒です」と言う。子連れの男の喉はおおっと唸る。そして「いま飲みたいんですれけど、駄目ですか」と言う。焼き鳥屋は「今回このイベントに新規出店している方がお酒を扱ってらっしゃるんですね。なので麦酒は売りません」と言う。焼き鳥屋のこの言葉で、男は子を連れて引き下がる。葱間は壺のタレにたっぷりと漬けられる。炭から濛々と煙が上がる。

胸奥にビールを隠す漢かな 以太

スーク緑の十日間 旧門谷小学校校庭