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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

所以48

  • 新しい絵の褒め方「すごい、AIが描いたみたいですね」
  • ナアマンの自由を、そしてナアマンの自由だけを認めるということは、裏返しに言えば、「考えたいことを考える自由」つまり心の中で好き勝手なことを思いめぐらす自由以外の自由を、何一つ認めないということなのです。(吉田量彦『スピノザ講談社現代新書
  • ちなみにこの論法は,ホッブズが『リヴァイアサン』第42章で認めたいわゆる「ナアマンの自由」のそれに酷似している。「舌による告白はたんに外部的なことがらにすぎない」から,もし自分の信条と異なる行為を政治的事情で強制されても,信条を裏切ったことにはならないから安心して従うべきだという論法である。(吉田量彦「「反逆的意見」とはどういうものか」
  • 9月27日(火)国葬儀が午後行われた。でも朝から仕事だった。夕方、交番の半旗が風でくるくる巻かれていた。
  • 安倍元首相の国葬が教えてくれたのは、日本人は己の政治哲学から政治を語るのではなく己を取り巻く人々の世間のなかで己の応分の場を要求して政治を語る、ということ。
  • 戦中→戦後の日本人のように、信条が正反対に変わっても彼らは自分の何かが変わったとは思わないだろう。
  • 安倍国葬で日本国民が一体となる時代は終わる。生前は安倍を賛成・反対することで利用し死後から国葬までは安倍国葬を賛成・反対することで利用して己の応分の場を占めたいという欲求で日本国民は一致していたからだ。では、これからどうする?
  • たとえ明日の朝/銃口と血したたる太陽が/自由と青春とペンとをこのわたしから奪おうとも/わたしは決してこの夜を手渡しはしない/決してきみを手渡しはしない(「雨の夜」『北島詩集』土曜美術社)
  • たった一度の/時間を校正する者は/きっと突然老いさらばえるだろう(「無題」『北島詩集』土曜美術社)
  • これは別れではない/なぜならわたしたちは出会ったことなどなかったからだ/影と影とが/かつて路上で重なったことがあったとはいえ/孤独な逃亡犯のように(「明日、いや」『北島詩集』土曜美術社)
  • 詩には国境はなく、詩は時間、空間、それに自我を超越するが、詩は自我より発しなければならない。(『北島詩集』土曜美術社)
  • かれらは賞を渡しているというよりは、沈没船から救難信号を発していると言ったほうがいいのではないか、と思われます。(『北島詩集』土曜美術社)
  • 「自由意志」の幻想と「感情の模倣」。この二つが重なって、ゆるせないでいる。(上野修スピノザの世界』講談社現代新書
  • 〈どちらかが謝れば蟬黙るのに/足立町子〉「踏生集」『麦』2022.10、ひとり黙り、ふたり黙り、やがて静かになる。
  • 〈名詞より動詞が好きな蟇/武内杉菜〉「地熱集」『麦』2022.10、じっとしているというより何かしら動いているヒキガエル
  • 勃起力増強のツボ。三陰交(内側のくるぶしから指4本分上)・開元と大赫(へそから指4本分下とその左右)・湧泉(土踏まずの前、へこむところ)・腎兪(高さはへそ、背骨から指2本分外)・次髎(仙骨にあるくぼみの、上から2番目のくぼみ)
  • 自然状態を経由せずに規定されたスピノザ自然権は、自然状態の解消としての社会契約に、本質的に左右されなくなるからです。(吉田量彦『スピノザ講談社現代新書
  • 9月28日(水)アピタ磐田店もセブンイレブン今之浦店も23日夕の台風15号による線状降水帯から5日たっても休業している。府八幡宮東の坂下にあり、かつては大之浦の入江だった低地のため浸水被害が大きかったのだろう。
  • 遠江国衙は大之浦に面し、海上交易の便があった。
  • 〈平らげる天安門の日の餃子/花房なお〉「諸家近詠」『静岡県現代俳句業界会報』No.132、天安門事件日に餃子を平らげる。パリパリに焼いて。
  • 体臭の観点から児を母の家で育てる伝統は理に適う。出産後の妻は夫の体臭を嫌い、思春期の娘は父親の体臭を嫌がる。