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向こう側には恐ろしい数の弱者がいる。弱者はいろいろなものを奪い取る。(村上龍『愛と幻想のファシズム(上)』講談社文庫)
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狩りによって俺達は人間になった、だから狩をしない奴は人間じゃなくて、まだ猿なんだ、いや猿に戻ったというべきかな。(村上龍『愛と幻想のファシズム(上)』講談社文庫)
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誰でも幸福になることはできる、だが貧乏人には快楽はない。(村上龍『愛と幻想のファシズム(上)』講談社文庫)
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意志の本質は未来に対する欲求の状態にあるのではなく、現在における現在の活動にあるのである。(西田幾多郎『善の研究』岩波文庫)
- 11月下旬、浜松市と磐田市のコンビニから毎日新聞が撤退している。
- 体制や集団へ身を捧げる者は精神を病まない。なぜなら他者中心的で自分本位だから。
- 別の言い方をすると自己中心的で他者本位の人は精神を病みやすい。こどもがその典型。
- 全体主義は一種の防衛機制と言える。
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すなわち、子供の頃殺されずに済んだという運、病気に打ち勝つからだ、殺し合いに生き残るチカラ、その三つがない者は、弱者なのだ。(村上龍『愛と幻想のファシズム(上)』講談社文庫)
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(前略)今の日本を象徴している。浅薄な知識とヒューマニズムに毒されて使いものにならない。本土決戦をしなかった敗戦国民の典型だ。彼らは激昂した後に意気消沈して、外国人の助けを借りるのだ。(村上龍『愛と幻想のファシズム(上)』講談社文庫)
- ↑大江健三郎『われらの時代』
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男の容量を決定するのは、その二つだ。情報と、快楽。(村上龍『愛と幻想のファシズム(上)』講談社文庫)
- 政治家は庶民感覚でいてもらっては困る。庶民感覚の政治家はいてもいいけれど、できれば庶民感覚では理解できない力量を持った政治家が国政に加わっていて欲しい。
- 〈僕は幾度となくそれを誤記して、訂正して、お詫びします。/佐クマヒトシ〉→訂正可能性の哲学
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歌の読みに正解はない。これが私の信念である。どう読めば、自分にとって歌がいちばん立ちあがってくるか、魅力的に映るかが大切なのであって、客観的にこれが「正解」という読み方は、短歌にはないのである。(永田和宏『現代秀歌』岩波新書)
- 家臣団を結成したい。
- アレクサンドロス大王家臣団(国王・太守)やナポレオン家臣団(国王・公爵)や劉邦家臣団(国王・諸侯)に匹敵するのは織田信長家臣団(関白・征夷大将軍・国持大名)くらい。
- 児童館と公園の北にあった執行医院(世田谷区祖師谷5-3-2)は内科の医者で『あさりちゃん』が置いてあった。風邪をひくと鼻腔を洗えと言われた。
- ドエル&ボクシバタ(東京都世田谷区祖師谷4-27-5)に薬局があった。
- 磐田市の駅南にある農業法人が参政党のオレンジ色の旗を立てながら農作業している。
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江戸時代には、式目の中に納まらない一句だけを書くときは、一句の内容にふさわしい、多行の形式を芭蕉も西鶴も選んで書いている。(林桂「俳句形式のデザイン」『現代俳句』2023年12月号)
- 攻撃を受けるパレスチナのガザへの同情は本土決戦を未遂のまま終わらせた敗戦国民の擬似被害感情を強く刺激する。
- 無謀な攻撃を仕掛けたハマスと真珠湾攻撃をしかけた戦前軍部の類似性。
- 憲法9条を護持する立場にあるならアメリカ=イスラエルを支持しなければならないのに弱い立場にあるガザへ同情してしまうという矛盾は、日本国民の多くは表面的に戦前への回帰を忌避しながら深層では戦前へ回帰したい願望を抱いている可能性を示唆する。
- パレスチナ解放を謳う日本赤軍の、本土決戦を継承するかのような活動が戦前日本とパレスチナを繋ぐ。
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しかし彼は噴き出す笑いを/逆転の笑いを笑うだろう(黒田喜夫「沼地にて」『黒田喜夫詩集』思潮社)
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ぼくは掟なんてほしくない/燃えるキリンが欲しいだけ(黒田喜夫「燃えるキリン」『黒田喜夫詩集』思潮社)
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おれはすでに名前で連帯しているのではない(黒田喜夫「除名」『黒田喜夫詩集』思潮社)
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決して還るのではない/迷行の痕を/ひいていった(黒田喜夫「爬行のとき」『黒田喜夫詩集』思潮社)
- 込める短歌と託す俳句