- 自発的隷従論discours de la servitude volontaireというタイトル、Mr.Childrenやブラックマヨネーズみたいで、それ自体で劇薬。
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何百万人もの人々がみじめな姿で隷従しているのを目にするのは、たしかに一大事とはいえ、あまりにもありふれたことなので、それを、痛ましく感じるべきではあっても、驚くにはあたらない。彼らはみな、巨大な力に依って強制されてというのではなく、たんに一者の名の魔力にいくぶんか惑わされ、魅了されて、軛の下に首を垂れているように私にはおもわれる。(エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ、山上浩嗣訳『自発的隷従論』ちくま学芸文庫)
- 百万の人なら隷従されているひとりの相手へ襲いかかれるはずなのに、なぜか?
- ボエシは統治の服従と圧政の隷従を分けて述べている。
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ましてや、このただひとりの圧政者には、立ち向かう必要はなく、うち負かす必要もない。国民が隷従に合意しないかぎり、その者はみずから破滅するのだ。なにかを奪う必要などない。ただなにも与えなければよい。(エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ、山上浩嗣訳『自発的隷従論』ちくま学芸文庫)
- →革命は不要。
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それにしても、なんということか。自由を得るためにはただそれを欲しさえすればよいのに、その意志があるだけでよいのに、世のなかには、それでもなお高くつきすぎると考える国民が存在するとは!(エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ、山上浩嗣訳『自発的隷従論』ちくま学芸文庫)
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こと自由にかぎっては、人間はまったく欲しない。その理由は、自由は欲するだけで得られるから、ということ以外にはないように思われる。(エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ、山上浩嗣訳『自発的隷従論』ちくま学芸文庫)
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彼らは、ひとりの人間に隷従するよりは、ただ理性にのみ従うことを大いに好むにちがいない。そうしない者があるとすれば、それはイスラエルの民だけであろう。(エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ、山上浩嗣訳『自発的隷従論』ちくま学芸文庫)
- →スピノザの『神学・政治論』
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自発的隷従の第一の原因は、習慣である。(エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ、山上浩嗣訳『自発的隷従論』ちくま学芸文庫)
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芝居、賭博、笑劇、見世物、剣闘士、珍獣、賞牌、絵画、その他のこうしたがらくたは、古代の民衆にとって、隷従の囮、自由の代償、圧政のための道具であった。(エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ、山上浩嗣訳『自発的隷従論』ちくま学芸文庫)
- ↑遊戯の例。反体制の芸術家や作家は反体制的な作品を娯楽として市民へ供給することで体制側を支援している。
- 圧政者の詐術。①遊戯、②饗応、③称号*1、④自己演出、⑤宗教心の利用*2
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すなわち、圧政者をその地位にとどめているのは、つねに四人か五人の者である。彼のために国全体を隷従の状態に留めおいているのは、ほんの四人か五人の仕業である、ということだ。(エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ、山上浩嗣訳『自発的隷従論』ちくま学芸文庫)
- →圧政者tyranの下の小圧政者たちpetits tyranneaux。
- 医療用抗原検査キットは日曜日だと薬剤師不在のため販売されていない。
- ホームセンターCAINZ小豆餅店には精度が低いと評判の東亜産業製研究用抗原検査スティックが日曜日でも売られていた。
- 虫歯を何本も抜いたときのアセトアミノフェンことカロナール500mgが大量に残っていてよかった。
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もともとその土地に生活していた人々を「民」、他の土地から流入してきた人々を「氓」という。(『全訳・漢辞海』第三版、三省堂)
- 被害事実の有無に関わらず被害者意識を抱いた人が発信力を持つ社会構造は改めないとならない。被害者意識を持ちやすいことは弱者の証明にならず、むしろ強者の証明となる。
- 犯罪歴や落ち度や失言や女性問題や違法薬物経験のある作家を何事も無かったかのように迎える文壇の良識は消えた。文壇が社会の縮図になってしまった。