以太以外

蒼褪めた巨漢は笑う水澄んで 以太

地図のある小説/鈴木ちはね

梅雨、流れ着くように届いた『bouquet, 2020』稀風社が郵便受箱に立っていた日、連作「地図のある小説」を読む。〈地図のある小説の良さ この世界も地図のある小説であればいい/鈴木ちはね〉地図のある小説というとファンタジー小説がぱっと思いつく。いまだらだらと三度目を読んでいる佐藤大輔皇国の守護者』も地図がある、ほとんど地図は見ていないけど。オズの魔法使いにも指輪物語にもゲド戦記にも地図があった。そういえば十二国記も。ファンタジー小説は読み手や作者からすると「思いのまま」のように思えるのだろうけれど作中主体からすると理不尽なことが多いものだ(と断定する私はどこの世界の住人だろう)。ただファンタジー地図を眺める分には楽しそうに思えるだろうし、その感覚は旅行計画時を地図帳を見るのと似た感覚のはずで、だから「地図のある小説の良さ」とは小説の内容の良さというより、小説に地図があること、それから読み手が自由に冒険を想像できることの良さなのだろう。この世界が「地図のある小説であればいい」というのも読み手の解釈が巨大な思想体系によってひとつに固定されることなく、自由に解釈できる世界であればいいという願いなのかもしれない。〈ビルの窓も開けばいいのに開かなくて敗戦国に雨が降っている/鈴木ちはね〉、これについては乾遥香が「わたしのための鈴木ちはね入門」で引用していた歌〈日本がまた戦争をやるとして勝つイメージが湧かない 大変だ/鈴木ちはね〉「感情のために」をなんとなく置いておく。ビルのはめ殺し窓は制空権を奪われ都市に空襲されるようになってしまった敗戦国における窓の目張りを連想させる。しかしはめ殺し窓によりビルのなかの人は一滴も雨に濡れていない。「開けばいいのに開かなくて」でもその窓によって実は敗戦国の人も何らかの害から守られているのかもしれない、たとえば戦争とか、それとも恋愛とか。