以太以外

蒼褪めた巨漢は笑う水澄んで 以太

『若山牧水歌集』岩波文庫

「死か芸術か」以降の部分をざっと読む。〈浪、浪、浪、沖に居る浪、岸の浪、やよ待てわれも山降りて行かむ/若山牧水〉山道をおりて開けた場所に出て、どうっと海が広がったのだろう。「、」は寄せて返す浪の間だ。〈なにゆゑに旅に出づるや、なにゆゑに旅に出づるや何故に旅に/若山牧水〉は〈ぼくたちはこわれてしまったぼく たちはこわれてしまったぼくたちはこわ/中澤系〉の原形とも言うべき。〈われを恨み罵りしはてに噤みたる母のくちもとにひとつの歯もなき/若山牧水〉罵られても平静か視線を保つのは家族相手ゆえに。〈朱欒の実、もろ手にあまる朱欒の実、いだきてぞ入る暗き書斎に/若山牧水〉灯りのような果実としてのザボン。〈日本語のまづしさか、わがこころの貧しさか海は痩せて青くひかれり/若山牧水〉言語能力が世界の姿を変える。〈すたすたと大股にゆき大またにかへり来にけり用ある如く/若山牧水〉「用ある如く」の諧謔。〈夕かけて風吹きいでぬ食卓の玻璃の冷酒の上のダーリア/若山牧水〉滅びゆく寂しさの味がしみわたる。〈わびしさや玉蜀黍畑の朝霧に立ちつくし居れば吾子呼ぶ声す/若山牧水〉望郷のような幻聴。〈古汽車の中のストーヴ赤赤と燃え立つなべに大吹雪する/若山牧水〉「燃え立つ」がストーヴなのか鍋なのか判然としなくいけれど、昔の旅の風情だ。〈麦ばたの垂り穂のうへにかげ見えて電車過ぎゆく池袋村/若山牧水〉「池袋の女」伝奇を下敷きにしていそう、谷間としての昔の池袋村を。