以太以外

蒼褪めた巨漢は笑う水澄んで 以太

檜葉記(一)

伊那から帰った日、現代俳句協会青年部による「翌檜篇」(19)『現代俳句』令和二年七月号を読む。「目印」より〈厚あげの断面ほどの冬銀河/珠凪夕波〉厚あげという厨のなかの卑近と銀河という宇宙規模の広大さを並べたところに興が起こる。厚あげの白さが、鍋の温かさや雪の白さをも連想させる。「木箸」より〈人といて喉のトマトの青臭さ/三嶋渉〉トマト=赤という定式を崩して、なおかつ表現は喉を過ぎる言葉の「青臭さ」まで及んでいる。青春になり損ねて崩れるトマトよ。「白玉抄」より〈蜜豆や話途端に切り替はる/中西亮太〉蜜豆や白玉は〈蜜豆をたべるでもなくよく話す/高浜虚子〉を始め対面の景がよく添えられる。吟行句ならその確率は跳ね上がる。蜜豆は甘さより赤豌豆と求肥と寒天の歯ざわりの違いが際立つ食べ物であり、「話途端に切り替はる」は対面の楽しさという蜜豆の古い本質を捨てず、食感という蜜豆の新しい本質を切り拓いている。