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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

片山一行『凍蝶の石』ふらんす堂

『凍蝶の石』を戴く。〈本棚の広き抜きあと春兆す/片山一行〉本の抜きあとは影である、しかしそこに戻るべき本の色彩を想像させる。春の予感がする。〈音楽の吊るされてゐる立夏かな/片山一行〉楽譜を糸に吊るしてインクを乾かす映像を見たことがある。白い紙に初夏の光が反射する。〈ほととぎす森にも海のあるらしき/片山一行〉この惚けた感じが好き。〈岬より岬の見えて良夜かな/片山一行〉この地理造型はいいな、闇のなかの海や崖や岬と岬のあいだの漁港などを思い描いてしまう。〈啓蟄に石鹸の皹浅くなる/片山一行〉啓蟄のぶよぶよした幼虫感と石鹸のぶよぶよが共鳴する。〈小手鞠やテロリストほど無垢な人/片山一行〉この人間群像を見透したような視線!〈蛍火のほかことごとく闇夜かな/片山一行〉句柄の大きさがあり、名句の佇まいがある。「ことごとく」は森羅万象を導く。〈穭田やたとへば遅き変声期/片山一行〉あの未熟そうな青が、変声期の声のようにも見えてくる。現実の景色を変容させる力のある句。〈砂山の砂粒ごとの春日影/片山一行〉全体を見る視点が突如として個々を見分ける視点へ変わる。この小と大の対照の妙は〈首の骨こきと大枯野に響く/片山一行〉にも。

折り鶴はすべて俯き敗戦忌 片山一行