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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

龍禅寺の句碑

 浜松市中区龍禅寺町に町名の由来となった龍禅寺がある。前太政大臣近衛前久本能寺の変後に浜松の徳川家康を頼って来浜しこの龍禅寺に滞在したことで有名だ。
 その龍禅寺に北門から入って右奥、すなわち境内の南西隅に句碑が2つ立っている。
堀川鼠来句碑
 〈窓打つや秋を定むる夜の雨/堀川鼠来〉の堀川鼠来(1818 - 1887)は浜松城の井上家に仕え本名は堀川幸七。中区早馬町の生まれで栩木夷白・伊藤嵐牛・橘田春湖らに俳諧を学び龍禅寺の辺りに貧乏しながら住んでいた。他に〈雨雲に影のはさまるほたるかな/鼠来〉などの句がある。この句碑は明治19年に作られた。
松永蝸堂句碑
 〈浮世には遠し花にも閑古鳥/松永蝸堂〉の松永蝸堂(1838-1919)は駿河国の生まれで本名は平七。橘田春湖に俳諧を学び、小築庵を嗣ぐ。この嗣号のために松島十湖と確執が生じたらしい。東京の慶応義塾でも連句の捌きをしていた、近代に活躍した俳諧人だった。