- 二元論を超えるためには、人は言語に無理をさせて詩人にならなければならない。
- ノンバイナリーという二元論。
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言いたかったことを正確に言うために、ものを書いてどうなるというのか。(シオラン、出口裕弘訳『生誕の災厄』紀伊國屋書店)
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私はいつも神以前の風景を追い求めてきた。(シオラン、出口裕弘訳『生誕の災厄』紀伊國屋書店)
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結局はいつも自分が最新の敵に似てしまうのを知って以来、私はもう誰にも攻撃をかけないことにした。(シオラン、出口裕弘訳『生誕の災厄』紀伊國屋書店)
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口調とは才能以上のもの、才能の真髄である。(シオラン、出口裕弘訳『生誕の災厄』紀伊國屋書店)
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何もわざわざ自殺するには及ばない。人間はいつも遅きに失してから自殺するのだ。(シオラン、出口裕弘訳『生誕の災厄』紀伊國屋書店)
- 性のあり方・セクシュアリティには生物学的性・性自認・性指向・性表現の4つの要素のほかに、自己申告の性と公的文書上の性がある。いずれも男女二元論を基盤とする。
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しかし、あのころの若者たちは、揃つて、話すことが嫌ひのやうに思へた。(岡井隆「中澤系さんの歌集のために」『中澤系歌集 uta0001.txt』双風舎)
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客観的であることは、他者を一個の物として、屍体として扱うこと、他者に対して屍体運搬人の振る舞いに出ることだ。(シオラン、出口裕弘訳『生誕の災厄』紀伊國屋書店)
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哲学者が人の心を読まなくなってから久しい。(シオラン、出口裕弘訳『生誕の災厄』紀伊國屋書店)
- 田舎でよく現代詩集・歌集・句集を読み、評すること。傍らに哲学と社会と自然についての書籍を読むこと。
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自意識は肉に刺さった棘以上のものだ。それは肉に刺さった匕首だ。(シオラン、出口裕弘訳『生誕の災厄』紀伊國屋書店)
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私たちが最後まで背信行為を許そうとしない相手は、私たちが騙した人間たちである。(シオラン、出口裕弘訳『生誕の災厄』紀伊國屋書店)
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ある作品の完成度を決定するのは、芸術的要請でも真理の発する要求でもなく、まさに疲労であり、さらにいえば嫌悪感なのだ。(シオラン、出口裕弘訳『生誕の災厄』紀伊國屋書店)
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芸術が袋小路に入れば入るほど、芸術家がぞろぞろと輩出する。これは異常とも見えようが、仮に、芸術は衰滅の道を歩みながら、不可能なものになると同時にたやすいものになったのだ、と考えるならば、異常でもなんでもなくなるであろう。(シオラン、出口裕弘訳『生誕の災厄』紀伊國屋書店)
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駄目な詩人がいっそう駄目になるのは、詩人の書くものしか読まぬからである。(シオラン、出口裕弘訳『生誕の災厄』紀伊國屋書店)
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ふたりの敵とは、分割された同一人物である。(シオラン、出口裕弘訳『生誕の災厄』紀伊國屋書店)
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肝心なことはひとつしかない。敗者たることを学ぶ――これだけだ。(シオラン、出口裕弘訳『生誕の災厄』紀伊國屋書店)
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何ごとによらず、深く掘り下げたことのない人間だけが、信念を持つ。(シオラン、出口裕弘訳『生誕の災厄』紀伊國屋書店)
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アフォリズムだって? そいつは炎なき火だ。誰ひとりそこで暖を取ろうとしないのも無理はない。(シオラン、出口裕弘訳『生誕の災厄』紀伊國屋書店)
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おのれを中傷する快楽は、中傷される快楽にはるかに優る。(シオラン、出口裕弘訳『生誕の災厄』紀伊國屋書店)
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人間は独特の匂いを立てる。あらゆる動物のなかで死骸の匂いがするのは人間だけだ。(シオラン、出口裕弘訳『生誕の災厄』紀伊國屋書店)
- 大規模な歌会・句会ならいざ知らず、数人の歌会・句会などの勉強会で発言せず見学だけなんて、乱交パーティーに着衣で参加するようなもの。
- 自分は愉しむだけで他人には愉しませない意図しか見せない人は何が目的なのかと疑われる。
- 勉強会はギブアンドテイクで成立する。最初からテイクだけ宣言を許すと、会が成立しなくなる。
- あなたが私の他者であることだけを理由に、あなたの発言は私にとって価値がある。