- 忍ばむと思ひしものを夕ぐれの風のけしきにつひにまけぬる/鴨長明
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才能が必要である。しかし、才能ある者は、まける……。(堀田善衞『方丈記私記』ちくま文庫)
- トルコ語 NHK
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幽玄体は習うのはむずかしいんですが、一通りの心得さえあれば、実は詠みやすいんですよ、などと言ったら、定家や寂蓮などは顔を真赤にして怒ったであろう。(堀田善衞『方丈記私記』ちくま文庫)
- 〈石川やせみのをがはの清ければ月も流をたづてねぞすむ/鴨長明〉事件。
- 五行歌があまり普及しなかったのは批評精神の甘さ、だろう。
- 下川島 Xià chuān dǎo
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開祖も、宗祖も、教義も、救済もない宗教が神道である。(島田裕巳『神道はなぜ教えがないのか』ベスト新書)
- 山の幻ミネアサヒ
- 星空文庫
- 焼肉を食べながらパイナップルやキウイを食べられる焼肉どんどんは嬉しい。
- 1月7日(日)、風呂上がりにZoffの眼鏡をなくす。
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登呂遺跡や吉野ケ里遺跡に祭殿があったとはとても考えられない。(島田裕巳『神道はなぜ教えがないのか』ベスト新書)
- 1月8日(月)、駅ビル2階のOWNDAYS浜松メイワン店で眼鏡を新調する。
- John Dillinger、「社会の敵ナンバーワン」("Public Enemy No.1")
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神道における祭祀とは、何もない空間を作りだし、そこに神を封じ込めることで営まれるものだと定義することもできる。(島田裕巳『神道はなぜ教えがないのか』ベスト新書)
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姿形をもたない神を祭祀の対象として祀り上げるためには、閉じられた空間という装置が不可欠なのである。(島田裕巳『神道はなぜ教えがないのか』ベスト新書)
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神道が「ない宗教」であるのに対して、仏教が「ある宗教」だからである。両者の性格に根本的な差異があるからこそ、衝突することなく共存が可能だったのだ。(島田裕巳『神道はなぜ教えがないのか』ベスト新書)
- 厄除の魔術的性格は自己暗示に強く訴えかける点にある。
- 大人は「うし」と呼ぶ、縣居大人。
- 法多山尊永寺の祈祷で名前が呼ばれたら本堂を出ていく人がいるのは札を引換る列に並ぶためだった。
- 失くした眼鏡は高いところにあった。
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長明において自分を、人間を問うことは、人の住む住居なるものを考えることと重なった。住居を考えることから発しての人間論であった。(堀田善衞『方丈記私記』ちくま文庫)
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本歌取り思想、文化に必然的にともなって来る閉鎖的な権威主義は、批評をも拒否するものである。(堀田善衞『方丈記私記』ちくま文庫)
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手を離したとき、アネモネの頬に指の跡が赤く付いた。それがまだ消えていない。(村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』講談社文庫)