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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

「土地よ、痛みを負え」「朝狩」『岡井隆全歌集』思潮社

労組機関紙俳句欄で〈梅雨明けやひっくりかえすおもちゃ箱/以太〉が採られていた日、「土地よ、痛みを負え」「朝狩」部分を読む。〈渤海のかなた瀕死の白鳥を呼び出しており電話口まで/岡井隆〉何を訊き出そうというのか。「渤海」の語で電話線は時間と空間を超えたのだと判る。白鳥は〈帝国の黄昏 無辜の白鳥を追いて北方の沼鎖さしむ/岡井隆〉も。白鳥という茫漠さ。〈銃身をいだく宿主の死ののちに激しくつるみ合う蛔虫/岡井隆〉蛔虫はアスカリス、一体となった死と性のぬめり気。〈降りしきり触れあう雪の音すなり憤怒の肩はとおく包まる/岡井隆〉触れあう雪の音が聴こえる静けさ、いや大地の沈黙とも言うべきか。〈夏期休暇おわりし少女のため告知す〈求むスラム産蝶百種〉〉/岡井隆〉淫靡な美しさ、学校の支配を逃れようとする少女のための罠。〈雲に雌雄ありや 地平にあい寄りて恥しきいろをたたう夕ぐれ/岡井隆〉恥しきはやさしき。広い景でのまぐわいは神のもの。〈訛り濃き愛の表白 送話器へのびあがり声を殺す少女/岡井隆〉「のびあがり」に背伸びした恋、「声を殺す」に許されぬ秘事を思う。〈労働に荒るるにはなお遠き掌を労働の書に挾みて眠る/岡井隆〉白い手と労働書のゴツゴツとした粗い印刷書体の対比だろう。〈甲虫の叛乱、腰に繋がれし糸もつれ合う論理のごとく/岡井隆〉「叛乱」「もつれ合う論理」同士討ちへのため息。〈絵のなき月、南へ旅す、内側をのぞきつつ翅ぶ鳥にまじりて/岡井隆〉童話的動く絶景。〈帰宅の刻きかれいる善良なる男らの一つ靴箆をつかい合う仲/岡井隆〉ほんの一瞬の男らの親しさが美しい。〈窓ぬぐう車掌の手いまわけて来しデモ隊のどの手より紅しも/岡井隆〉寒さにかじかむ赤色が印象的。〈真夏の死ちかき胃の腑の平にはするどき水が群れて注ぎき/岡井隆〉「胃の腑の平(たいら)」「するどき水」という描写力。〈まっすぐに女にむかう性器など食い足りて椅子に居ればまぼろし岡井隆賢者タイム。〈湯の奥に蛇口のひらく音ぞしてわが肉体のどこか亢ぶる/岡井隆〉蛇口のひらく音は繁殖の音でもある。「蛇口」という単語がすでにエロス。〈ラスクの粉頸のめぐりに散りながら地獄への一支線を待てる/岡井隆〉地獄への南武支線。〈夜半 完成にちかづく塔ありて内ら撲ちあうひびきの谺/岡井隆〉谺に摩天楼のごとき巨大さ、果てしのなさ、バベルの塔の恐ろしさを思う。〈過去の鳥 畳のうえの体毛をやさしみながらかなしみながら/岡井隆〉空への風圧への懐かしさを風切り羽のない体毛で感じる畳の上。