- Kànzǎidǐng Fish Market 崁仔頂漁市場
- 報導者 The Reporter. 台湾の独立系メディア
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現代短歌における文語はむしろエスペラント語のようなものだと、穂村弘と枡野浩一の意見が一致したから、意見というより真理だと思う。@toiimasunomo
- 現代短歌や現代俳句における文語=エスペラント説は、文語が誰のものでもない言語を使って普遍性という課題へ応接していることを表している。
- マインクラフトとエスペラント、https://esperonova.net/
- マジョリティを名乗るというマイノリティ性。
- ことばを発する人なら誰もがマイノリティを名乗りたがる時代に、マジョリティを名乗り続けそれでいながら普遍を訴え続けること。
- マジョリティがマイノリティを名乗るのは商業的戦略、マイノリティがマジョリティを名乗るのは芸術的戦略。
- スピノザ全集岩波書店
- 人類の脳から戦争という発想がなくなるとき、虚構を理解できなくなるので詩もなくなる。
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ベ平連が“市民として”とか言うのも、言い換えれば“群衆として”ということだよ。所属を持たない群衆が、初めて政治過程に参入してくる。それは“68年”のフランスでもアメリカでも同じように起きたんだと思う。そこが小熊には全然見えていない。(『対論1968』集英社新書)
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反対者は全員抹殺するのと、反対者に思想信条を棄てさせて統合するのと、どちらが権力として残酷なのかという問題でもありますね。(『対論1968』集英社新書)
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上野千鶴子を典型として、最近だと“リーン・イン・フェミニズム”と呼ばれているような、つまりアッパー・クラスのインテリの“男と同等になるべきだ”、それも要は社会の枢要な地位に就くことを可能にすべきだという、上層階級内部での“不平等”を問題にしてきた。(『対論1968』集英社新書)
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つまるところ、差別について無思考であってもいい、というのがPCなんだ。差別への対処を行儀の問題にすり替えると言ってもいい。そこに問題がある。(『対論1968』集英社新書)
- 遠州天狗屋坂田吉章さんの天狗ちゃん、エスペラント名はTenguĉjo。
- 12月18日(日)木下惠介記念館の映画上映会で「陸軍」を鑑賞。もうね、ラストシーンで嗚咽ですよ。これだけのラストシーンを「母出征を見送る」の一行だけで検閲を通したとか、木下惠介は策士ですよ。(解説の戴周杰さん、ありがとうございます)
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“平等”の要求が達成された結果としての抑圧的な社会への叛乱は、それを裏返した“自由”の要求を広範に生じさせた。(『対論1968』集英社新書)
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つまり9条護憲は天皇制護持を意味している。(『対論1968』集英社新書)
- 笠井潔の言う沖縄・台湾・香港の東アジア島嶼連合、「主権国家ではない緩やかな自治連合」「国際コミューン連合を目指すような非主権国家地帯を形成」し、それらを増殖させていく世界革命か。ワクワクすんぞ。
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激動期に自然発生的に誕生する“コミューン”と、平時から活動している“アソシエーション”はどういう関係なのか、どう結合しうるのか、というのが回避できない難問なんですよね。(『対論1968』集英社新書)
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表面的に掲げられている要求とか、言葉で語られる世界認識なんか、いくらでも変わりうるものです。重要なのは、とにかく路上に出てくること。2011年国際蜂起の総括としてバトラーやネグリが言い始めたように、どんなデモにもアセンブリとして、神的暴力(解放的な暴力)のかけらくらいは宿っているものです。行動がラジカルであれば、認識なんか後からついてくる。(『対論1968』集英社新書)