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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

所以24

  • 誰が悪魔に向かって大笑いする髑髏にいいね!を押したのか(鯨向海、及川茜訳「不完全な文」『Aな夢』思潮社
  • 自立学校というのは、詩人をやめたばかりの谷川雁が、筑豊の大正炭坑闘争に入れあげて、どうやら先も見えてきた感じの頃に、自立した思想集団を作るというようなことで始めた学校で、1962年の9月に開校集会をやって、たしか10月から早稲田の観音寺で授業を開始した。とりあえず準備会メンバーが運営委員になったが、山口健二、松田政男、川仁宏、平岡正明宮原安春・栗田宇喜・私などであった。(今泉省彦 絵描き共の変てこりんなあれこれの前説1-5
  • 共産主義へ空疎な眼差しを向けるアナーキストが、「親切な機械」として、来たるべき内乱を組織するために市民運動を支援する。
  • むしろ同僚の河野与一(フランス文学者)から薦められたスピノザの『エチカ』に共感したという。宇野が詳述していない以上、臆断は慎まなければならないが、相対的価値形態にある商品に商品所有者を想定し、その「欲望」の表現として等価形態にある商品を捉えるという発想は、スピノザ的「表現」論と言えるかもしれない。(絓秀実『革命的な、あまりに革命的な』ちくま学芸文庫
  • 宇野弘蔵の経済学・価値論とスピノザ。国家(精神)と資本(身体)の心身並行論*1
  • 善および悪に関して言えば、それらもまた、事物がそれ自体で見られる限り、事物における何の積極的なものも表示せず、思惟の様態、すなわち我々が事物を相互に比較することによって形成する概念、にほかならない。なぜなら、同一事物が同時に善および悪ならびに善悪いずれにも属さない中間物でもありうるからである。(スピノザ、畠中尚志訳『エティカ』岩波文庫E4)
  • スピノザの神即自然→マルクス唯物論スピノザの心身並行論は万物(精神も身体も)が全て神の属性の変状であり*2、かつ神=自然なのだから万物(精神も肉体も)=神=自然。これの自然を物に言い換えれば、マルクス唯物論である。
  • スピノザは、自由意志は存在せず他の原因により決定される*3と説いた。マルクスは人間の意志から独立した生産諸関係とその上部構造からなる土台の上の社会的意識形態が、つまりその人間の社会的存在(関係)がその人間の意志を規定する*4とした。スピノザの神(即自然)はマルクスの言う社会的意識形態となる。
  • スピノザの自己保存のための努力≒コナトゥス*5マルクスでは矛盾を正そうとする階級闘争と社会革命の原動力となる*6
  • ルンペンプロレタリヤ、すなはち舊社會の最下層にある、腐敗墮落した貧民もまた、場合によつてプロレタリヤの革命運動に誘ひ込まれるだらう。けれども彼らの生活状態から見ると、彼らはむしろ喜んで反動的陰謀のために買收されるだらう。(カール・マルクスフリードリヒ・エンゲルス堺利彦幸徳秋水訳『共産黨宣言』)
  • 8月13日(土)、アクトシティ浜松の展示イベントホールでざんねんないきもの事典の展示を観た。
  • 現生人類は意志の力で進化(突然変異)しうるか?
  • 生物学進化が突然変異と自然選択(自然淘汰)によるものだとして突然変異はその生物の意志によるものと考えていたけれど、スピノザ的には精神も身体も神の変状だった。
  • 小倉虫男「フェミニズム勝利のための戦略指南書
  • もし男流俳人の手による男流俳句が屹立するなら、それは現代においては自嘲の屈折に裏打ちされるだろう。
  • LGBTなど性的少数者を巡り「生物学上、種の保存に背く。生物学の根幹にあらがう」といった趣旨の発言をしたことが分かった。(LGBT「種の保存背く」日本経済新聞
  • LGBTはそのものが種の自浄作用だし、人口過密を調整するので種の保存に適い、役立っている」という意見の方が簗和生の意見よりはるかに悪辣な差別発言だろう。
  • 人類の種の保存は人類以外の種にとって悪である。
  • 刑罰をうけた悪人たちが、自分の「犯行」について感じていたことは、スピノザのこの着想とまったく同じことだったのである。「わたしはそれを成すべきではなかった」と考えるのではなく、「思いがけずも、まずいことになってしまった」と考えるのである。(ニーチェ中山元道徳の系譜学』光文社古典新訳文庫
  • 浜松市に無料の児童プールが浜松城公園をはじめ相生公園や船越公園など数か所あるのは30分間回泳へ向けて児童を水に慣れさせるためだろう。
  • 8月14日(日)、19時50分くらいから中野町煙火大会2022を中野町の畦道で車を停めて観たけど、大玉は衝撃が胃の腑に来た。

*1:身体が精神を思惟するように決定することはできないし、また精神が身体を運動ないし静止に、あるいは他のあること(もしそうしたものがあるならば)をするように決定することもできない。(スピノザ、畠中尚志訳『エティカ』岩波文庫E3P2)

*2:個物は神の属性の変状、あるいは神の属性を一定の仕方で表現する様態、にほかならぬ(スピノザ、畠中尚志訳『エティカ』岩波文庫E1P25C)Res particulares nihil sunt nisi Dei attributorum affectiones sive modi quibus Dei attributa certo et determinato modo exprimuntur.

*3:精神の中には絶対的な意志、すなわち自由な意志は存在しない。むしろ精神はこのことまたはかのことを意志するように原因によって決定され、この原因も同様に他の原因によって決定され、さらにこの後者もまた他の原因によって決定され、このようにして無限に進む。(スピノザ、畠中尚志訳『エティカ』岩波文庫E2P48)

*4:人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。(マルクス、武田隆夫他訳『経済学批判』岩波文庫

*5:おのおのの物が自己の有に固執しようと努める努力はその物の現実的本質にほかならない(スピノザ、畠中尚志訳『エティカ』岩波文庫E3P7)Conatus quo unaquæque res in suo esse perseverare conatur, nihil est præter ipsius rei actualem essentiam.

*6:プロレタリアートは種々な發達の段階を經過する。彼らのブルジョアジーに對する戰ひは、その存在とともに始まる。(カール・マルクスフリードリヒ・エンゲルス堺利彦幸徳秋水訳『共産黨宣言』)