以太以外

辷り台に脚を忘れた虫の闇 以太

再読『千夜曳獏』

三月の海に花びら浮いていてこの水はさぞ冷たいだろう 千種創一

この作者のなかにはあたたかい海水だと花びらがすぐに溶けてしまうという観念があるはずだ。

湖にこれから入るかのようにあなたは黒い靴を脱ぎ、寝る 千種創一

はじめあなたは男性だと思い読んでいたけれど、女性だろう。だから脱ぎ散らかすのではなく黒靴はベッド横に揃えてある。

黒に染めたあなたの揺れる髪の毛の、鯨はかつて陸を歩いて 千種創一

鯨は海にいて、かつて陸にあがり、再び海へ戻ったのだから黒に染めたあなたの地毛は黒ではなかったのかもしれない。

海上の国境みたいなあいまいで明るい時間をあなたと寝てる 千種創一

あいまいなのは夜と朝のあいだの時間であるし、私とあなたの境界であろう。

路線図の涯に名前の美しい町があるのは希望と似てる 千種創一

雲雀丘花屋敷という駅」が詞書。「路線図の涯」が人生の終わりのよう。

あなたから借りた詩集のここからは付箋の色がかわる 秋かも 千種創一

使っていた付箋を切らしてしまうのは季節の終わりのように致し方ないもの、人の力ではどうしようもないものと捉えられている世界は美しい。

石鹸の紙を破れば或る島の或る安宿へ記憶は帰る 千種創一

匂いが記憶を甦らすのだろう。

きのことは柔らかい釘、森にいる誰かを森に留めおくための 千種創一

思わず「おおっ」と唸った。そうだったのか。