折ゝに伊吹を見てや冬籠 芭蕉
「見る」と「籠る」、つまり自分の視界を確保しながら他者の視線から身を守るような振舞い癖、この二つの相矛盾するしぐさを同時に充たす生活空間を人は好むという理論の基本を、わたしは英国ハル大学の地理学者アプルトン氏に負うのである。この対行動とは、要するに、動物としての人間がその生存を全うせんとする願望に由来するとアプルトン氏はいう。(中村良夫『風景学入門』中公新書)
アプルトン氏とはジェイ・アップルトンJay Appletonであり、眺望 – 隠れ場理論 prospect-refuge-theoryの提唱者だ。折々の句は大垣の千川亭で作られた。実景はどうであろうと、冬籠という言葉が「見る」側をとりまく籠りの景色を作り出している。「見る」はその行為を他者に見せている。現代ではこんな「見る」もある。
毛布から白いテレビを見てゐたり 鴇田智哉
白いテレビに何が映っているのか、津波か原発事故か。それも気になるけれど景は毛布にくるまり籠る人の映像で占められる。その人はきっと生存を全うせんとする願望を抱いている。