以太以外

蒼褪めた巨漢は笑う水澄んで 以太

放送大学「文学批評への招待」第2章詩の分析(1)

学習課題2「詩の批評を通して、それまで見えなかった風景が見えてくることがある。詩のことばを経ることで、世界への新たな眼差しが獲得される可能性について、自身の経験にもとづいて、800字程度で述べなさい。」

金子兜太の俳句に〈暗黒や関東平野に火事一つ〉がある。関東平野には首都圏があり、煌々と明るい夜景があるはずである。しかし俳人関東平野に大きな暗黒のみを見出した。では「火事一つ」とは何だろう。それは崇高な精神を求めてやまない命の燃焼である。

田村隆一の詩「天使」に〈(前略)北斗三等寝台車/せまいベッドで眼をひらいている沈黙は/どんな天使が「時」をさえぎったのか/窓の外 石狩平野から/関東平野につづく闇のなかの/あの孤独な何千万の灯をあつめてみても/おれには/おれの天使の顔を見ることができない〉とある。詩人は鉄道に乗りながら東日本に横たわる巨大な闇を見出し、民家の光を「孤独な何千万の灯」と表現した。そしてそれらの光を集めても「天使の顔を見ることができない」と嘆く。

兜太の句でも「孤独な何千万の灯」が直接書かれていないだけで「関東平野」の言葉にそれらの灯は内包されている。しかしそれらの灯を集めても詩人と同じく兜太の「天使の顔」を見るまでには至らない。だから俳人は他人の灯を借りるばかりでなく、自らを燃やして「火事」を起こした。そしてその明かりで「天使の顔」を拝もうとした。自分は一人しかいないから「火事一つ」なのだ。自棄糞であり焼身自殺的でもあるその詩的態度は滑稽さを求める俳諧の詩ならではの表現であり、同時に童子めく純粋さを秘めた崇高な精神への希求の姿勢だ。

この句に出会って以降、首都圏の夜景を見るたびに、崇高な精神へ到達するため命を燃やす青年の姿を探してしまう。ビルの谷間に、傾斜に犇めく民家のなかに、その凍えるような火事は燃えているのかもしれない。