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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

『岡大短歌 8号』

竜ヶ岩洞から帰った夕刻、『岡大短歌8号』を読む。〈ポタージュの湯気を見つめて《忘れっぽい天使》のように微笑んでいる/深谷あおい〉《忘れっぽい天使》はパウル・クレーの絵だろう。絵を知らなくても「忘れっぽい」はそれだけで愛らしい。〈かなしみを忘れてしまうこの棚は宇宙軍が燃やすものを置く棚/成瀬遠足〉あくまでも地球的な棚と宇宙軍の取り合わせ、「宇宙軍が燃やすもの」は星の残骸とかだろうか。「かなしみを忘れてしまう」が一度置くと振り返ることの少なくなる棚の本質を言い当てている。〈たばこ屋の『たばこ』のフォントかわいくて調律された街のあかるさ/長谷川琳〉手書きのフォントだろう。たぶん古い街並に与えられた色と直線による調律、街が確かにそこにあることの手がかりとして。〈入り口は痛いよなごめんにぎってて 十階からのイルミネーション/永井さよ〉会話から分かち書き、そこから後の客観写生がクール。〈見慣れない色の電車が走る街ぎゅうぎゅう詰めの笑顔ください/大葉らか〉「ぎゅうぎゅう詰めの笑顔」はお土産の詰まった箱のように敷き詰められた笑顔だろう。もちろん満員電車のなかは顰めっ面が詰められている。だから「ください」は旅行者の視点。〈流線形は案外身近にあふれてて滑らかだから見過ごしてるだけ/津中堪太朗〉そうだったんだ、今度見てみる。〈はりきって買いもの、つかれたから焼きとり、元気になってせん湯に行く/大壺こみち〉気分のジェットコースター、でも庶民的な暮らしが楽しそう。〈やわらかい鋏で切った絵のさかな 少女の指に鱗のねむけ/撫川なつ〉「鱗のねむけ」を小箱に収めて夜の国へ行きたい。〈いっぱいのいらない光につつまれて帰らなきゃって気持ちのようだ/村上航〉「いらない光」が斬新、車のハイビームに当てられたら「帰らなきゃっ」となる。〈ただ生きて横断歩道を渡り行くありとあらゆるひとが尊い/平井唯〉それでいいんだ。〈割り箸になるかもしれない木のそばで待ってるバスはなかなか来ない/津中堪太朗〉木とバスを待つ人と時間の経過する速度の違うふたつが隣り合っているおもしろさ。時間が経つとふたつのズレが広がる。〈ガラス戸の向こうに明日 浴室のひかりに指がふやけたままだ/撫川なつ〉ふやけた指は孵化など再生を暗示している。〈市民にはなにもできない マゼンタのインクカートリッジが落ちている/村上航〉血の色だったり、女性だったりをマゼンタは連想させる。市民には何も解決できない無力さ。〈沿線のちいさな部屋を海として僕らに性があるということ/長谷川琳〉海で繁殖してきた生命の末端として沿線に生きる。