-
「道具」と「道具ではないもの」を分けて世界をふたつに切断することが、道具的文明の行為である。(小倉紀蔵『日本群島文明史』ちくま新書)
-
大文明は、本来は多重主体である人間を、他者と断絶した個人として改造してしまったので、今度は逆に他者との通路を確保するために道徳という装置を発明した。(小倉紀蔵『日本群島文明史』ちくま新書)
- ↑ヒューム、スピノザ
- orangcosong、住吉山実里+藤原ちから
-
〈第三の生命〉:あわいのいのち、立ち現れるいのち(小倉紀蔵『日本群島文明史』ちくま新書)
- ↑ネットワークとも言えないか?
-
日本群島は歴史的に、海洋性を前面に出すと大陸文明化し、海洋性から離脱すると群島文明化したわけだ。(小倉紀蔵『日本群島文明史』ちくま新書)
-
朝鮮の日本に対する優越意識は、文明論的なものだった。(小倉紀蔵『日本群島文明史』ちくま新書)
-
第二次世界戦争の大敗北を経たあとの戦後日本では、平和主義が道徳中心主義的な人文哲学的文明論の中核に置かれ、〈平和主義であることが文明の基準である〉という儒教的イデオロギーが支配した。(小倉紀蔵『日本群島文明史』ちくま新書)
-
日本群島は、その開放性と閉鎖性をたくみに混淆させながら、かろうじて存続してきたのである。(小倉紀蔵『日本群島文明史』ちくま新書)
- 四本島+小ネシア群の集合としての島嶼国日本=日本ネシア・ヤポネシア?
- 浜松市の水窪や二俣もまた島と言える。本島もまた島の集合にすぎない。
- コーヒーポエム
- 織都桐生と桑都八王子と陶都多治見と俳都松山と詩都浜松
- 音声と弓矢という自分の意思の伝達手段、第三の生命
- Carton、島津冬樹、旅する段ボール
- 多夢多夢舎
- ふたつの天平文化の抗争。『日本書紀』・東大寺法華堂・唐招提寺金堂v.s.やまとピジン・やまとクレオールとしての『古事記』『万葉集』
- توحيد、一化の原理と道家の道→朱子学の理
- 三国世界観(朝鮮の除外・韓隠し)→粟散辺土観
- 近年における雲南産珈琲豆の隆盛
- 本地垂迹説:Avatāraアヴァターラ、権現、Avatar
- Гагарин「Небо очень и очень темное, а Земля голубоватая.」
- スペースサイト! 宇宙開発史
- 元寇によって芽生えた大陸文明的な「侵略の文明子」を武士・織田信長から継承して朝鮮出兵をした豊臣秀吉とそんな実体的世界観に抵抗する反実体的勢力としての茶の湯の千利休はいずれ反目する定めだった。
- 世阿弥「金島書」
-
大日本帝国の天皇は情緒的には、各家庭の父親ではなく母親と接合していたのかもしれない。日本の戦争は「女の顔もしていた」のである。(小倉紀蔵『日本群島文明史』ちくま新書)
- ↑双系制の議論を踏まえている。
-
普遍的で絶対的な〈第二の生命〉という思想がなければ「侵略」という行為も成立しないのである。(小倉紀蔵『日本群島文明史』ちくま新書)
- 個人の尊厳≠人間の尊厳
-
つまり人権と「人間の尊厳」がセットになっていたわけではない、という点に、戦後日本の法的・社会的問題の根幹がある。(小倉紀蔵『日本群島文明史』ちくま新書)
-
藤原氏が重視した「やまとだましひ」というのは、ひととひとの〈あいだ〉、ひととことの〈あいだ〉の機微を、概念という媒介を経ずに的確に感じ取り把握して臨機応変に対処する能力のことである。(小倉紀蔵『日本群島文明史』ちくま新書)
- Wplace
-
ひとつの統合的な理念によって演繹的に規定されてしまうような単純な道徳に、群島文明nの日本人はつねに疑いの目を向け、それに同化されないようにしてきた、ということだ。(小倉紀蔵『日本群島文明史』ちくま新書)
-
だが逆にいうと日本人は統合的な道徳に慣れていないので、大陸文明の道徳に接触すると、いつも、簡単にそれに支配されてしまうという傾向も持つのである。(小倉紀蔵『日本群島文明史』ちくま新書)
- ↑平和主義とかフェミニズムとか。でもそれに疑いの目を向け、同化されないようにしてきた人が必ずいる。
