- Alevi Gazetesi、アレヴィー派の新聞(トルコ語)
- Mezopotamya Ajansı、クルド人によるメソポタミア通信社(トルコ語)
-
もしもクマの攻撃によって体の一部が取れてしまったら、病院に持ってきてほしいという。ポリ袋に入れたり、タオルで包んだりしてもいい。(クマの第一撃は「顔面パンチ」で次に「噛む」の破壊力 救急医「『クマを殺すな』という人は実情を知って」)
-
プログラムの試験導入時には、ビジュアルアートから演劇、文学、音楽、舞踊、オペラ、映画、サーカス、建築までの幅広い分野が対象とされた。応募者は、作品売上による収入があること、専門団体に所属していること、あるいは評論の対象となっていることなど、自身がプロのカルチャーワーカーであることを証明するものを2点、提出することが求められた。(芸術家向けベーシックインカム制度の正式導入をアイルランドが決定。実証実験で約140億円の経済効果)
- 反動思想文化排撃法반동사상문화배격법、全文
-
朱子学は変革と躍動と生命の思想なのである。(小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』ちくま新書)
- 性即理の朱子学は理と気、心即理の陽明学は万物一体の仁と良知
-
儒教において肉体は気によって成り立っているため、同じく気で成り立っている宇宙とは完全な連続性のもとにある、ということである。(小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』ちくま新書)
-
そして、この気には必ず理が付随している。理とは天に由来し、宇宙万物に秩序を与えている当為・原理・法則・道徳のことである。(小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』ちくま新書)
- 経書に書かれたことは理、その書物や文字は気、それを読む行為も気で、「経書を読むことによってそこに書かれた理と合体」する。
-
朱子学的統治とは、統治者が理とほぼ一体化することによってその場の気を支配することである。(小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』ちくま新書)
-
日本人は、本当に「男」が自分たちの快感のみを増幅するような「社会」をつくるとどうなるかを、知らない。それは、日本では中国宋代以後のような朱子学社会が実現したことがなかったからである。江戸時代は儒教社会ではなく封建社会であった。(小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』ちくま新書)
-
視之而弗見、聽之而弗聞、體物而不可遺(中庸)
-
つまり中国・朝鮮では民衆は理から捨てられた領域のみを管轄したが、日本では民衆がかみに通じるすべての領域を自己統治した。(小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』ちくま新書)
-
儒とはこのように、美を中心として人間と社会に秩序を形成しようとした思想集団である。(小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』ちくま新書)
-
儒教とは、血の連続性および超越的存在(天)との合一感を基本にして、生者と死者を包摂した愛と知と美の共同体を構築する宗教思想であり、かつ、その愛の道徳的エネルギーを外部に拡散する変革エネルギーによって他者への統治を実現し、世界的な文明共同体を成就しようとする政治思想である。【定義A】(小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』ちくま新書)
-
儒教とは血と愛と道徳の思想である。【定義D】(小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』ちくま新書)
- 儒教の血とは男性のDNA,女性のDNAではない。
- 儒家の差等、墨家の兼愛
- 相手が自分にとって親しいか親しくないかによって差があるのが差等、たとえば親子の最小情愛ユニットへの強烈な愛情
-
人間が人間たるゆえんは、この最小情愛ユニットへの愛着を排他性として規定せず、包摂性として規定するというところにある。(小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』ちくま新書)
-
孔子の幻想のうち最大のものは、「文化を文明と錯視する」というものだった。(小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』ちくま新書)
-
周という一地方の特殊な「文化」を、普遍的な「文明」と意図的に錯視したのである。つまり、周の文化こそ、世界においてもっとも普遍的な文明であると宣言したのである。(小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』ちくま新書)
- →自文化中心主義(中華思想)
- 聖人ではない人がふつうの人
-
自暴者、不可與有言也。自棄者、不可與有爲也(孟子)
- 告子の性即生は人生肯定であり、conatus肯定だろう。
-
陽明学の核心をひとつだけ挙げよといわれれば、「心をすべてにシンクロナイズ(同期)させるエネルギー」ということに尽きる。(小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』ちくま新書)
- 理気や体用などの均衡的動態の美にこだわる朱子学とひとつになることにこだわる陽明学
-
虛靈不昧、眾理具而萬事出、心外無理、心外無事(伝習録)
-
アフォーダンスとの違いは、王陽明の場合は、環境や外部が主観に価値や意味をアフォードしているわけではない、ということである。主観と外部は完全に同時に連動しているのである。(小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』ちくま新書)
- ヘーゲルの人倫Sittlichkeitはインターネットか?
- 絶対霊への接近(鬼神論):インターネットA、偶然性の明滅:インターネットB
- 生生↔枯木死灰
-
私の考えでは、「気の思想」というのは、物を極端に抽象化したエリートの哲学者たちの世界感である。(小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』ちくま新書)
- 貨幣は血液というより気
-
つまりこの気=生命というものは、決して平等のみを表す思想ではないのである。貨幣と同じように存在の分布に濃淡や局在、部分的枯渇などの特徴を持っている。(小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』ちくま新書)
-
清末の譚嗣同が『仁学』で説いた「以太(エーテル)」は、気に類似した概念だが、気ではない。これは平等の概念なのである。(小倉紀蔵『入門 朱子学と陽明学』ちくま新書)
- ザナバザル文字
