以太以外

辷り台に脚を忘れた虫の闇 以太

堺利彦『石部明の川柳と挑発』新葉館出版

後世に自分と同レベルの読み手が現れるだろうと世界への信頼を持てる人は強い。「馬の胴体」「賑やかな箱」「遊魔系」部分まで読む。〈鳥籠に鳥なく母は午睡せり/石部明〉鳥籠の空白を午睡の母に重ねるとき、空白は妖しい部分に至る。〈諏訪湖とは昨日の夕御飯である/石部明〉わかさぎの唐揚げを食べたか。〈蛇口からボトリと惨劇が生れ/石部明〉「蛇口」の名前にはすでに奇異が含まれる。〈川底にうすい布団を敷く女/石部明〉この造型は痺れる。川底に敷かれた布団がだんだん水を含んで重くなる、そのどうしようもない悲しみは読める。〈こいびとと妻の知らない鳥を飼う/石部明〉「鳥」とは感覚の名だ。〈フラスコへ一滴たらす父祖の土地/石部明〉「父祖の土地」は液状であり、心に滲みる。〈てのひらに蝶をころした痕があり/石部明〉鱗粉とかではない、聖痕だ。〈息とめて冬の一樹になっている/石部明〉や〈百合の香をまぜて鉄橋塗りあがる/石部明〉中島斌雄の俳句星系に加わるかもしれない句と思わせる。〈紐を引く何処かで誰か死ぬように/石部明〉軽い気持ちで重々しい紐を引く。〈いもうとは水になるため化粧する/石部明〉透明感はつくれる。〈ころがしてゆく体内の岬まで/石部明〉この「岬」は地形的な岬をイメージしていい、虚構の靄は「岬」ではなく「体内の」にかかる。〈雛壇を担いで行方不明なり/石部明〉寺山修司の短歌を思わせる。仏壇と柱時計と雛壇と。〈ボクシングジムへ卵を生みにゆく/石部明〉場所の目的をずらす。つるりとしたボクサーの肌や奇抜な髪型を思わせる。〈裏山の全部を入れる古箪笥/石部明〉くすんだジオラマのような裏山、あるいは〈押入れのずうっと奥に吊るらんぷ/石部明〉のように固定された空間としての収納スペースに無限のような広がりを見出す。〈死ぬということうつくしい連結器/石部明〉連結し繋がることは点滴や人工呼吸器のように生きることを意味する。〈劇薬と記す夕陽を入れた瓶/石部明〉名称と実体を乖離させる、実体もあやふやである。〈桃色の骨あらわれて鏡拭く/石部明〉中原中也の「骨」のよう。「鏡拭く」は焦って証拠を消すかのよう。〈ラムネ瓶神より青く立っている/石部明〉神の色を知らないのに「神より青く」が輝く。〈釘抜いてその傷痕を聖地とす/石部明〉釘、地という尺度の隔たり。〈印鑑を押す木枯らしの片隅に/石部明〉冬の隅っこのカフェとかでの契約を、省略を効かせて描くと不思議さを読める。〈夕暮れの寺院のように貼る切手/石部明〉官製葉書の二辺と平行になるように、幾何学的に、貼る。

押しピンで壁に刺されて影眠る 石部明