以太以外

空の色尽きて一月一日に/以太

所以221

  • 演技は修練のつみかさねだと思うけれど、人類の表現にその演技は必要だったのかという視点は必要
  • ただ突っ立って話すだけではダメなのか。
  • ただ立つのもただ話すのもまた修練の賜物である。
  • 自分の特権に気付いていないのなら、なぜ特権を守るムーブをとるんだい?
  • 《詩は、本来は伝達と再現のためのものである「言葉」を用いて構成される、非再現的芸術である》(入沢康夫『詩の構造についての覚え書』筑摩書房
  • 「詩とは、語を素材とする芸術ではなく、言葉関係自体を、いや、言葉関係自体と作者(または読者)との関係そのものさえをも素材とするといった体の芸術行為である。」(入沢康夫『詩の構造についての覚え書』筑摩書房
  • 詩人は、降霊の儀式として詩作を進めながら、その詩作の刻一刻に、同時に一個の読者として立ち合うという態度を要求される。演じられる祭典そのものであると共に、その観客でなければならぬ。ここに詩人の二重性、いいかえれば《詐欺》的な一面がある。(入沢康夫『詩の構造についての覚え書』筑摩書房
  • SOは、つなぐ公社の西村佳哲理事と同研究科の石川初教授に親交があり実現した。(慶応大、神山にSO 9月開設風景や暮らし記録徳島新聞2016年8月27日)
  • 大ざっぱに言えば、詩に関するほとんどすべての事柄が《循環》要素となり得るのだ。(入沢康夫『詩の構造についての覚え書』筑摩書房
  • マラルメは日常の言葉を、手から手へ受け渡される流通貨幣にたとえた。(入沢康夫『詩の構造についての覚え書』筑摩書房
  • 群衆はムーの群れである。
  • おそらく「われわれ」から「われ」が分泌されたのは人間の歴史においてはつい最近のことにすぎない。所有であれ交換であれ、まず群を単位にしていたであろうことは疑いをいれない。固有名詞はともあれ、いわゆる自我の発生は、交換が個人間において日常的なものとなったことと対応しているだろう。(三浦雅士『私という現象』講談社学術文庫
  • 人称代名詞が確定してゆく過程はむろん発展であり進歩である。しかし、同時にそれは、自己という根本的な苦悩を鋭利に磨きあげてゆくことにほかならなかった。(三浦雅士『私という現象』講談社学術文庫
  • 熱心に語り合っているときに見えてくるのは相手の輪郭であるよりもむしろこちら側の輪郭である。(三浦雅士『私という現象』講談社学術文庫
  • 関係が意図を生むのであって、意図が関係を生むのではない。(三浦雅士『私という現象』講談社学術文庫
  • 社会という網目が結節点としての自己を生んだのである。思考の起点を自己におくのは、したがってひとつの転倒である。(三浦雅士『私という現象』講談社学術文庫
  • 不動の構築物としての作品↔生成する作品・揺れ動く作品
  • 毎度毎度政界における疑惑がその政治家がなにをしたのか、ではなく報道機関がどのように表現したのか問題でしかない。
  • それで騒ぎたてても文脈を読める人には通用しない。
  • 人間は未完成のままで生まれ、この未完成な自己を演劇的社会(意味づけられた環境)のなかで完成させてゆかなければならないのだ。(三浦雅士『私という現象』講談社学術文庫
  • 意味づけることの不可能性、これこそかわ寺山修司の主題である。そしてそれは、自分自身を意味づけることの不可能性、すなわち人間が自分自身でありつづけることの不可能性をひきずりだす。(三浦雅士『私という現象』講談社学術文庫
  • 内面、それこそは無限に意味を問いつづけようとする病にほかならない。(三浦雅士『私という現象』講談社学術文庫