以太以外

蒼褪めた巨漢は笑う水澄んで 以太

檜葉記(二)

現代俳句協会青年部による「翌檜篇」(20)『現代俳句』令和二年八月号を読む。「でも」から〈機影また雲間に消ゆる夏野かな/内野義悠〉「機影また」から夏野を覆う空の高さと大きさとを想像させる。その空や雲を含めて巨大な「夏野」であるかのような連体形。「夏と雲」から〈人間が猿の時から夏の雲/西澤日出樹〉猿人やそれ以前から変わらないだろう夏雲と今も変わりつつある人間との対比、悠久への憧れ。「雲を跳ぶ」より〈人間に翼なくとも夏の空/石原百合子〉人間に翼があれば夏の空を飛べるかもしれないという夢想を見せながら現実的な「翼なくとも」で引き戻す表現が、夏の空への感情をゆさぶる。そして〈八月のもはや何にもなれぬ雲/石原百合子〉「もはや何にもなれぬ」は普通は人にかかる、でも雲にかかることで人の天上的ありかたとしての死をも思わせる。

うらがわの雲を知らない夏休 以太