以太以外

蒼褪めた巨漢は笑う水澄んで 以太

「幻燈」『林田紀音夫全句集』富士見書房

筑後川が氾濫した日、「幻燈」部分を読む。〈少女が黒いオルガンであった日の声を探す/林田紀音夫〉女の子は黒いオルガンとともに歌っていた時代を振り返っている。その声の思い出とともに、思い出のありかを探している。〈体温を風にさらわれ親身な河口/林田紀音夫〉身体から風が体温をさらうのは陸地という河から海へ水が流失するのと似ている。〈雨が傷めた少年の肩突込む夕刊/林田紀音夫〉雨に濡れ肩を冷やしながら新聞配達をする少年を見ている。ボクサーになるのかもしれない。〈いつか星ぞら屈葬の他は許されず/林田紀音夫〉二点だけ「いつか星ぞら」は五十億年後であり、「ぞら」と開いたのは「そ」の字の屈葬性のため。〈濡れて消える煙草証言の後に似て/林田紀音夫〉証言とは煙草の煙のようなあやふやさを帯びたものだろう。〈旋盤に油余つて祭来る/林田紀音夫〉鉄工場と祭は切り離せない。〈生きものの地上の夜を悲しむ灯/林田紀音夫〉ふと、夜の帰り道につぶやきたくなる句だ。〈他人の眼鏡に銀いろの河ジャズ途切れ/林田紀音夫〉「銀いろの河」も「ジャズ途切れ」も唐突ではあるけれどいずれも夜空と黒人のサングラスなどを思わせる。〈ピアノは音のくらがり髪に星を沈め/林田紀音夫〉ピアノの音はどこか物悲しい。〈雨の飛行音そのあとに母胎の眠り/林田紀音夫〉現代人なら飛行機の客室内が母胎と似ていることは知っている。遠さと近すぎる遠さと。〈窓にびつしり青ぞら算盤の指走り/林田紀音夫〉事務系会社員の昼というべき、びっしりは社会の圧だ。〈歩きはじめてこがらしの声聞く幼児/林田紀音夫〉這い這いの泥濘から立ち上がり、押し寄せる孤独。〈日時計に荒寥と血の匂い絡む/林田紀音夫〉日時計に死の匂いがするのは生が死への道に過ぎないからか。〈底のウイスキー鳥類は黒くはばたき/林田紀音夫〉揮発性の鳥類として。〈死者もまじえて雨傘の溢れる都市/林田紀音夫〉死者の民主主義を、雨傘という濡れた器具で表現した。〈鬼の棲む三日月を見せ肩ぐるま/林田紀音夫〉三日月の尖りは鬼の角だよ、などと教える。〈つながれている山羊ながく毀れた空/林田紀音夫〉山羊の隠者めく顔は価値観の損壊を思わせる。

馘首の前の青空がある拭かれた窓 林田紀音夫