以太以外

辷り台に脚を忘れた虫の闇/以太 ※リンク・引用自由

所以20

  • 中途覚醒対策には寝る前の非加熱蜂蜜が効く。
  • 大阪万博によって、六〇年代のアンダーグラウンド系美術は、ほぼ壊滅したといっていいが、「太陽の塔」はそのシンボルにふさわしい、ファシズム的「紋切型」(しかも、イロニーさえ欠いた?)であることは論をまたない。(絓秀実『革命的な、あまりに革命的な』ちくま学芸文庫
  • 津軽りんご市場の對馬智範さんは「生産者の皆さんには、おいしく品質のいいりんごを育ててもらいたい。自然災害がないことを願っています」と話していました。(ことし収穫されたりんごの初競り 板柳町
  • 津軽りんご市場の對馬智範さん、太宰治(津島修治)の祖先とともに蒙古襲来=元寇のときに対馬国から海路でやって来た人々の子孫だろうか。
  • いまの自由律・口語俳句・感動律は反人間主義ではない、というよりヒューマニズムに堕している感がある。内在律はまだ。
  • 人間の社会活動による産物、たとえば、労働活動による生産物や社会関係、あるいは頭脳活動による観念、思想、芸術などが、それ自身あたかも生命を与えられたように自己活動し、それに よって独自の力をもつかのように現れ、それらを生み出した人間自身に対して、逆に彼を支配してしまう疎遠な力として現れるようなことをいう。(疎外
  • 労働疎外、物象化、物神崇拝
  • 30℃前後だと凍結させた500mlペットボトルのイオンウォーターが帰局しても融け残る。
  • それと最後の方は味がほとんどなくなるのは、味は氷の表面の方に寄って固化するからだろうか。
  • 井土紀州監督「LEFT ALONE」予告篇、孤独圏。
  • 詩は世俗性に傾斜する散文(小説)中心の近代文学のなかで、その芸術性を保証する核心的なジャンルではある。しかし、その核心性は、小説に対するマイノリティーたる位置に置かれている。この位置は中心化を要求できない、俗語革命下では絶対的なものにほかならない。この、核心が脱中心化されているというパラドックスによって、現代詩は「近代世界システム」(ウォーラーステイン)に決定的な意味を持つ六八年革命における、文化的ヘゲモニーを担うことになったのだった。(絓秀実『革命的な、あまりに革命的な』ちくま学芸文庫
  • l'imagination prend le pouvoir. 想像力が権力を奪う。想像力=権力
  • そのため入沢は「詩は表現ではない」という言葉を「詩作品は、伝達の手段ではない」と言い換えている。 正確に言えば入沢にとって、詩は作家の思想・感情の伝達手段ではないのである。(No.005 現代詩の創出と終焉 入沢康夫論(上編)
  • しかし短歌の世界は、もちろんいろいろ問題はありますけれど、外の世界よりかはリベラルで、短歌の世界でこういう作品*1を発表することで批判されることはなく、むしろ褒められやすいと。外の社会ではフェミニズム的な発言をすると、ツイッターで絡まれたりしてぜんぜん安全ではないんですけど、短歌の世界では追い風が吹いていて、むしろ安牌なわけです。そういう状況で、そういう作品を応募作として出すことに、ちょっとだけ考えてみてほしいんです。本当にこの視点に乗っかっていいのだろうか。ここにあるのは社会的な意義であって、文学的な意義ではないのではないか。(斉藤斎藤発言「第六十五回短歌研究新人賞◆選考座談会」短歌研究2022.7)
  • 斉藤斎藤の発言の何が問題かと言うと、たかだか新人賞の選者に過ぎない者が①文化的ヘゲモニーを獲得*2しているフェミニズム作品全体に対しカウンターを仕掛けているようにも読めること*3、更にもっと重大なのが②文化的ヘゲモニーを獲得したにもかかわらずフェミニズム作品がその正当性のために依然として準拠し続けているマイノリティー性へ異議申し立てをしたこと、の2つだろう。
  • 怒られても仕方ない。
  • 文芸界隈や短詩界隈のフェミニスト作家はフェミニズムを使って何かを獲得するのではなく、現状の勢威を維持していくだけの時期に入っている。
  • もちろんフェミニスト作家のやりづらさ問題とフェミニズム的な作品の受容されやすさの現象とは峻別されなければならない。作品の親離れ、作家の子離れ。
  • フェミニズム的な作品を「短歌の世界では追い風が吹いていて、むしろ安牌なわけです」と直観した斉藤斎藤の歴史への皮膚感覚は、歴史音痴の多い歌人俳人のなかでは信頼できる部類に入る。
  • 参照として、対談:わたしと、わたしの心の中の猛獣|丑野つらみ|note野川 短歌研究2022年7月号座談会をめぐるあれこれについて - note短歌研究 7月号 51ページについて|展翅零 - note
  • 私はこのやり取りを聞いて、ようやく今まで掴みかねていた斉藤斎藤の本質を垣間見た気がした。斉藤は原理主義者(ファンダメンタリスト)なのである。ここで言う原理主義とは、思想 (=言葉)と行動との完全な一致を個人のレベルにおいて厳格に要求する立場を言う。(第63回 青磁社創立10周年記念シンポジウム見聞記
  • 日本国の投票率が低くなったのは、すでに左派の革命*4が完遂しているために、民衆が選挙では内閣や政権与党しか変わらず根本的に何も変わらないことに安心/失望しているからかも。
  • 東京五輪2020において関係者・担当者の辞任・解任(猪瀬直樹舛添要一、ザハ・ハティド、佐野研二郎森喜朗小山田圭吾、のぶみ、小林賢太郎など)が多発した事実から分かるように、左派が諦めた政権以外の分野では左派系の世論形成(ヘゲモニー)が効力を持っている。

*1:引用者註、女性の生きづらさをテーマにした作品

*2:1970年7月7日華青闘告発以降、マイノリティー問題や環境問題などそれぞれの分野へ散った左派がそれぞれの分野で勝利し続けているという歴史観については外山恒一『改訂版 全共闘以後』イースト・プレス・絓秀実『革命的な、あまりに革命的な』ちくま学芸文庫・絓秀実『1968年』ちくま新書など。

*3:もちろん応募作のうち女性の生きづらさについて扱った数作品について言及しているとも読める。

*4:各分野での陣地戦に勝利してヘゲモニーを獲得するというグラムシ的な革命。