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「3、4年前に、俳句協会から『稲川淳二さんが夏の季語になりました』という、ご連絡をいただきまして、身に余る光栄でありますが、どうやら私も夏の風物詩になったようです」(香川照之、生放送で「稲川淳二」が季語の俳句を披露…「喜んでいただけましたか」)
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いずれの団体でも「稲川淳二」を夏の季語と認めたことはないという返答だった。(これぞ怪談!? 「『稲川淳二』が季語に」大手協会は「認めたことはない」と困惑 本人に聞いてみた)
- 「俳句協会」というぼかし方が怪談めいている。
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新左翼における道徳主義的なものへの反発――それは、新左翼の創成が石原慎太郎的=「怒れる若者」的なナルシシズム=ナショナリズムに規定されていたことと関係している。(絓秀実『1968年』ちくま新書)
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華青闘は、まず、「本日の集会に参加された抑圧民族としての日本の諸君! 」という挑発的な言葉ではじめる。(絓秀実『1968年』ちくま新書)
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さらに問題なのは、「部落民」なる存在が、法的には「存在しない」ことである。(中略)「女」なるカテゴリーは「無」でしかない。「女は存在しない」(ラカン)のだ。同様の意味において、部落民は、部落民ならざる「日本人」の言説編成によって存在させられた「無」の対象といえるだろう。(絓秀実『1968』ちくま新書)
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その意味で、確かに「日本人」以外ではない部落民は、日本のナショナリティーの、無としての核なのである。(絓秀実『1968年』ちくま新書)
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今日のカルチュラルスタディーズやポストコロニアル研究、そしてフェミニズム研究等は、少なくとも日本においては、七・七にその出発点を見いだされなければ、何ものでもない。(絓秀実『1968年』ちくま新書)
- 七・七集会における華青闘代表の発言
- より高貴な起源(父親)を探ろうとする「小説の起源」としてのオイディプス。
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単純化すれば、国家が幻想であるなら別の、より強固な幻想によって打倒できるはずだからである。(絓秀実『1968年』ちくま新書)
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フランス語の「フェティッシュ(物神、呪物) 」から生じた言葉であり、ある対象、あるいはその断片を偏愛する態度のこと。フェティシズムFetishism
- それがないこと、無であることを知りながらその存在に執着するフェティシズム的な態度、偽史的想像力、年代記小説の系譜。
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じつはプロテスタントはかなり「家父長制」的なところがあり、それにくらべればカトリックの「家父長制」的な部分は曖昧なのです。(中略)カトリックには聖母マリアの信仰があり、女性中心の側面もありますが、それにくらべるとルターのメッセージは非常に父権的であり、マリアという女性ではなくイヴという罪をおかした女性が前面に出てきます。(エマニュエル・トッド「今のフェミニズムは男女の間に戦争を起こそうとする、現実離れしたイデオロギー」)
- 自民党と統一教会(統一協会)の「つながり」「関係」「協力」の話は食傷したので、政教分離の話だったら公金支出の証拠を早く暴き出して欲しい。
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当節の燐寸は軸木が脆かった。(中略)「近ごろのマッチはよく折れるってことさ」(三島由紀夫「親切な機械」『岬にての物語』新潮文庫)
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「われわれはいわば壊れた無電受信機だ。しかしこの無電受信機を発信機に改造する自由はまだ残されているんだ。」(三島由紀夫「親切な機械」『岬にての物語』新潮文庫)
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「個人の自由意志には必ずこの地上に対応物があるんだぜ。どんな意志にも、必ず対応する否定意志があって、地上のどこかに生きてるんだぜ。」(三島由紀夫「親切な機械」『岬にての物語』新潮文庫)
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木山は友人二人と「亜南樹」という同人雑誌を出す計画をしていた。アナーキーと読むのである。政治上の無政府主義ではなく、文学上のアナーキズムを標榜して、三人それぞれが新機軸の創作を発表する雑誌であった。(三島由紀夫「親切な機械」『岬にての物語』新潮文庫)
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水島はアナーキストの雑誌に、右翼の残党の短歌雑誌の広告をとってきた。(三島由紀夫「親切な機械」『岬にての物語』新潮文庫)
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口をついて出る言葉が、野放図に相手を傷つけていて、しかもこちらの感情は気の毒なほど波立たない。鉄子は橇で辷り下りるような危険を伴った気楽さを味わう。(三島由紀夫「親切な機械」『岬にての物語』新潮文庫)
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鉄子の次の言葉は木山を啞然とさせた。「根拠はちゃんとあることよ。私がそうされたいと思っているからだわ」(三島由紀夫「親切な機械」『岬にての物語』新潮文庫)
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それにしても巡査松田某の動物愛護の美行は賞讃さるべきである。(三島由紀夫「親切な機械」『岬にての物語』新潮文庫)
- 〈雨に傘ひらく何かの標的となるかもしれぬことも知らずに/正岡豊〉『四月の魚』書肆侃侃房、標的になりたくない人は減り、標的になりたい人が増えているかもしれない。