- 無知者は自分が認めた脚本家の作品なら深読みするけど、そうでない作品は浅くしか読まない。
- 問題があるのではなく、問題と考える人がいる。問題と考える人は自らの存在を無にして*1責任から逃れたがる。けれど、考える人は存在し、確かにその人の脳で考えている。ゆえに、考える人にこそ責任がある。
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第2次大戦直後、ムソリーニ支持者が結成した「イタリア社会運動(MSI)」に身を投じ、腐敗した既得権層を批判した。(伊、初の女性首相誕生か 支持率首位の右派党首―ジョルジャ・メローニ氏)
- かつてS.R.が「女性は書くもの全てが芸術になる」と言った。私は強く否定した。フェミニズムをするか、言語芸術をするかをどこかで決断する必要がある。
- 確かにどんなものも言語芸術にはなる。でも、カウンターのなかにバックラッシュがありバックラッシュのなかにカウンターがある、そのような技巧が価値ある言語芸術には要る。
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「自治」を掲げる大学という「民主的」な機構が、実は、過剰なものを排除するときのみ民主的であるということの暴露から始まったのである。(絓秀実『1968年』ちくま新書)
- ルサンチマンを準拠としないフェミニストは気のぬけた炭酸水。
- 局長が7月一杯で異動。この局長のせいで適応障害になったから、嬉しい。しかも人間ドックで病気が見つかったらしいので更に嬉しい。
- 2回誤配で始末書とか、労災1回で始末書とか、横暴だった。
- 北遠はおよそ浜松市天竜区、西遠は天竜区以外の浜松市と湖西市、中遠はおよそ磐田市と袋井市と森町、東遠はおよそ掛川市と菊川市と牧之原市、南遠はおよそ御前崎市と掛川市の南部が名乗りがち。
- 緯度を引く気持ちで宝石をたべて悲しむ人々を裏切るように所以を知らせる 瀬戸夏子
- 五七五や五七五七七という定型に従っていることを読む所以とする人は、破調や自由律が続くと読む気をなくしてしまう。内容を知りたい気力と定型を読みたい気力のどちらを優先させるか問題。
- 〈盗撮というミスリードをとおしてもそこらじゅうからソーダのにおい/瀬戸夏子〉『かわいい海とかわいくない海end.』書肆侃侃房、盗撮はその行為が被写体の承認を受けていないがゆえに正撮である。無意識の表情からも無作為なソーダのにおいが立ちこめる。
- パリの五月革命は就職に不安をもつ理学部と文学部からはじまったらしいという孫引き。
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かつての大学においては、公害も、フェミニズムも部落問題も、学生サークルにおいて論じられ、闘争すべき課題として練り上げられていった。ところが現在では、それらは――もちろん、それは消費者の欲望を汲み取るというタテマエでなされたものだが――カリキュラムのなかに組み入れられることであらかじめ「合意」されており、係争へのブロセスは禁じられている。あるいは、係争=闘争を目論もうとすれば、それは合意を破る者であるがゆえに監視/管理のもとに置かれることになる。(絓秀実『1968年』ちくま新書)
- 善隣学生会館事件の真相を探る
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松尾芭蕉は真実を書いたのであり、門人の残した旅日記は事実を記したものであると語った古典の教師を思い出します。(このページの趣旨)