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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

西村麒麟『鴨』文學の森

『現代俳句』ティータイム欄に拙文「おとな乳歯」が載った号でそのティータイムの休止を知った日、西村麒麟文學の森を読む。〈獅子舞が縦に暴れてゐるところ/西村麒麟〉「縦に」が意外、秩序だっているように見えて実は箍が外れている。〈足裏のツボみな痛し花曇/西村麒麟〉反射区の図の鮮やかさが花のころ。〈黴の宿映りの淡きテレビあり/西村麒麟〉未だにブラウン管なのが黴の宿(昭和に建てられた)。〈枝豆は書き損じたる紙の上/西村麒麟〉紙の上だから枝豆は特別に扱われているのに特別感のない「書き損じ」。ただのおつまみ、添え物としての枝豆。〈帰宅して気楽な咳をしたりけり/西村麒麟〉人前では苦しそうに。〈舌の上にどんどん積もる風邪薬/西村麒麟〉粉薬、葛根湯の描写が巧み。水で流しても残りそう。〈夕焼の染み込んでゆく佃島/西村麒麟〉佃煮からの連想。

螢の逃げ出しさうな螢籠 西村麒麟

松下カロ『白鳥句集』深夜叢書社

雇用保険は今どのくらい貰えるのかについて考えた日、松下カロ『白鳥句集深夜叢書社を読む。全句白鳥というわけではなく〈アパートの外階段を鳥渡る/松下カロ〉のような下町風情な鳥の句もある。〈海といふガーゼ一枚白鳥來る/松下カロ〉ガーゼ化した海は何か異物を飛来させる。〈刀疵あり白鳥の奥ふかく/松下カロ〉関ヶ原の戦いで斬られました。〈白鳥に少年の腕阿修羅像/松下カロ〉非天こと阿修羅像の胴体は白鳥だった。〈繃帶がほどけ白鳥ゐなくなる/松下カロ〉中身はなかった、この世界のはじまりから、ね。〈白鳥のむくろ忽ちすきとほり/松下カロ〉銀河ステーション斜め横のできごと。〈ジオラマの川を白鳥遡る/松下カロ〉アメリカの鱒釣り的な川を遡る。

日曜日白鳥にある膝小僧 松下カロ

「鏡騒以後」「補遺」『八田木枯全句集』ふらんす堂

燧石を買った雨の日、『八田木枯全句集』を読み終わる。〈水鳥はうごかず水になりきるや/八田木枯〉浮寝鳥の寝とは水への同化への意思、という物語。〈朧とはたとへて言へば二枚舌/八田木枯〉朧はいたずらに枚数を重ねない、重ねて二枚くらい。〈蜥蜴走す時計の裡の空間を/八田木枯〉「時計の裡の空間」に時間はまだ関わっているか、蜥蜴は無時間を走るのか。〈虹のかけら拾ひにゆくは死んでから/八田木枯〉死ぬのは自己、虹に触れられるのは死後、〈夕燒に最惡の蝶現はれし/八田木枯〉「最惡の蝶」という字面が強い。〈オートバイ黒い卵を産み落とす/八田木枯〉たぶんハーレーダビッドソン

飲む水にリアリティーあり不死男の忌 八田木枯

佐山哲郎『娑婆娑婆』西田書店

雹降りで指が濡れ悴む日、佐山哲郎『娑婆娑婆』西田書店を読む。〈魚の氷に上る坐薬の副作用/佐山哲郎〉氷に上がる魚と直腸に上がる坐薬の対比、副作用はヒリヒリとするような言語体験。〈母の日のいびつでなまぐさい鞄/佐山哲郎〉母と鞄と、何かを容れるものとして。〈四万六千日未亡人サロン/佐山哲郎〉浅草や鶯谷あたりにありそうな死と隣合わせのサロン、〈くちびるとくちびる物の音澄めり/佐山哲郎〉唇は触れ合って声となる。しかしそれは人体という物の音である。秋めいて。〈男郎花胸に一物背に荷物/佐山哲郎〉語呂が良く「背に荷物」が滑稽である。〈ぢつと見てゐる大小の雪女/佐山哲郎〉彼岸から、姉妹か母娘か。〈元旦や見渡す限り信号機/佐山哲郎〉元旦の東京で動いているのは信号機くらいかもしれない。〈恵方へと歩めば袋小路かな/佐山哲郎〉せっかくの恵方なのに起点が悪かった、無念。

逝く春を交尾の人と惜しみける 佐山哲郎

吉川宏志『石蓮花』書肆侃侃房

入野協働センターでボードゲームをした日、妻の運転に揺られながら吉川宏志石蓮花』書肆侃侃房を読む。〈パスワード******と映りいてその花の名は我のみが知る/吉川宏志〉隠された花の名が頭から離れない。オミナエシか。〈吹き口をはずしてホルンの唾を抜く少女は秋の日射しのなかで/吉川宏志〉発表会か、練習か、無思想と静寂の時間、美しい時間。〈銀紙のように静けし夜の更けにアルバイトから戻りたる娘の/吉川宏志〉銀紙の皺はもう二度と戻らない、そんな夜の時間を過ごしてきた娘の帰宅。〈夏つばき地に落ちておりまだ何かに触れたきような黄の蕊が見ゆ/吉川宏志〉死ぬ定めにあってなお瑞々しい黄色の行方は。〈剥かれたる蜜柑の皮ににんげんの指のかたちは残りていたり/吉川宏志〉化石のように。〈どれもみな鳥の内部をくぐりたる桜の色の卵に触れつ/吉川宏志〉桜は花を想像させる、生命の色。

わが家にて性のシーンの撮られしを初めて知りぬ箪笥が黒い 吉川宏志

「鏡騒」『八田木枯全句集』ふらんす堂

雨の日、「鏡騒」『八田木枯全句集』ふらんす堂を読む。〈大冬木そらに思想をひろげたる/八田木枯〉純粋な論理である思想は、冬木の寒々しさに似る。〈蝶を飼ふ人差指はつかはずに/八田木枯〉人差指は対人のための指ゆえに蝶には行使しない。〈春よりもわづかおもたきかすていら/八田木枯〉春とカステラの重さ比べ、甘さや穏やかさを比較する。カステラの重さはそんな曖昧さ。〈原爆忌折鶴に足なかりけり/八田木枯〉原子爆弾による身体の喪失を思わせ、かつ千羽鶴により現実的に起こりうる事象の取り合わせ、しかし意外さ。

鶴のこゑ繪具をしぼりだすごとく 八田木枯

岡田一実『小鳥』マルコボコム

ロキソニンSテープを買った日、岡田一実『小鳥』マルコボコムを読む。〈駆け上がれば水仙肺に痛きかな/岡田一実〉河岸段丘を駆け上がった呼吸困難、水仙のかたちから来る痛みの連想。〈うつくしく檸檬をぬらす島が待つ/岡田一実〉船でその島へ向かう。木になる檸檬が見え、雨で濡れているようで、高まる期待感。〈花器に底こほろぎにこゑありにけり/岡田一実〉花器に底がないと花を生けるという機能がなくなる。同じように、こおろぎに声がないとこおろぎとして機能がないように思われるという奇妙な感応。〈極月のマーブルチョコが散らばった/岡田一実〉十二月のカラフルな街だけど、本当のところは真の闇、闇の上に貼り付く薄い色。

負けるつもりで向日葵きいろ 岡田一実

斉田仁『異熟』西田書店

局内異動はあるかもと思った日、斉田仁『異熟』西田書店を読む。〈黄金週間終わるブラシで鰐洗い/斉田仁〉「黄金」と「鰐」で南洋王の風格。〈夏浅し老人ホームのおもちゃ箱/斉田仁〉呆け防止の器具だろう、しかし「老人」と「おもちゃ」字面は意外性に満ちている。〈万緑や寺格を誇る大薬缶/斉田仁〉どでんと檀家をもてなす鈍色、無機質なのに「万緑」が生命感を、それも滑稽な生命感を与えている。〈自ずから巻尺戻る薄暑かな/斉田仁〉なかなか測れない焦り。〈稲刈つてあらわとなりし毛野国/斉田仁〉群馬県栃木県の稲田の広さ。〈総入歯にて月光を浴びており/斉田仁〉総入歯という神に近い存在へ注ぐ月光、〈中也忌の透明傘の中の空/斉田仁〉「透明傘」がつくる小さな、寂しげな、それでいて豊かな世界は中原中也の詩に通じる。〈神無月とは年金の来ない月/斉田仁〉リアリズム。〈厚着して本懐すこし揺らぎたる/斉田仁〉厚着して楽になり失った心意気。〈上毛三山ひとつひとつに淑気かな/斉田仁〉群馬県人の誇り上毛三山。〈恵方から方向音痴の妻が来る/斉田仁〉恵方と方向音痴という方角上での真逆さの出会い。

わが死後もずっとラムネが冷えてます 斉田仁

「夜さり」『八田木枯全句集』ふらんす堂

放送大学の「漢文の読み方」単位認定試験を受けた日、「夜さり」『八田木枯全句集』ふらんす堂を読む。〈鶴は引く人差指のあひだより/八田木枯〉水や砂の漏れるように指の間を引く。〈うすらひや空がもみあふ空のなか/八田木枯〉最初の空は薄氷のなかに、二番目の空は水のなかに。〈麥秋は鳥のはらわたまで達す/八田木枯〉単なる消化を光線のように叙述することで異界が生まれる。〈父老いて銀漢の尾を捌きをり/八田木枯〉老いて擬神に。〈月光ははばたき水に火傷せり/八田木枯〉月光だからこそありうると思わせる「水に火傷せり」で曲輪を飛びだした。〈肝臓も漆紅葉もよく濡れて/八田木枯〉赤色が並ぶ、「肝臓」に「濡れて」のイメージ喚起力が強い。〈日の暮をととのへてゐる障子かな/八田木枯〉いろいろあった一日を整然と並べる。

雁病んで畳の縁を通りけり 八田木枯

「天袋」『八田木枯全句集』ふらんす堂

妻子が病にたおれたので足裏に湿布を貼り「天袋」を読む。〈卵黄のまんなかにゐる夏景色/八田木枯〉「ゐる」ということは作中主体の視線が卵黄のなか。〈ゆふぐれは紙の音する櫻まじ/八田木枯〉「紙の音」という視点、紙は夕の色を含みあたたかに。〈鳥は鳥にまぎれて永き日なりけり/八田木枯〉鳥が群にまぎれる緩慢さ、という春だ。〈小満の鳥はあうらを見せて飛ぶ/八田木枯〉小満は動植物が大きくなるけれど大きくなりきらないという二十四節気、蹠(あうら)にはその鳥の稚さがまだ残っているのかもしれないし、ひょっとすると霊気(アウラ)でもいいのかもしれない。

水澄みて空には隅のなかりけり 八田木枯

戸田響子『煮汁』書肆侃侃房

林檎を買った日、戸田響子『煮汁』書肆侃侃房を読む。〈乾杯でちょっと遠い人まぁいいかと思った瞬間目が合ったりする/戸田響子〉そしてすぐ目を逸したりする。〈エサが欲しいわけではなくて鯉たちの口の動きが送る警告/戸田響子〉鯉世界の破滅、あるいは人類の危機、〈さっきから配達員がやってくるバイクの音だけし続けている/戸田響子〉タウンが出てて軒数が多い、コツもトメもある。〈かみさまの言葉を忘れゆく子供擬音をつかわず「かみなり」と言う/戸田響子〉喃語を「かみさまの言葉」って言うの素敵。〈宅急便の複写紙に強く強く書く強くなければ届かぬ気がして/戸田響子〉「強く」が一番二番と三番とでは少し異なっている。

地下鉄の乗客たちは暗黙のうちに互いに視線を外す 戸田響子

岡野大嗣『サイレンと犀』書肆侃侃房

こども園からのお熱コールで町一つと町半分の配達を見捨てて帰った日、岡野大嗣『サイレンと犀』書肆侃侃房を読む。〈校区から信号ひとつはなれればいつも飴色だった夕焼け/岡野大嗣〉児童にとっての異界はいつも夕焼けだった。〈友達の遺品のメガネに付いていた指紋を癖で拭いてしまった/岡野大嗣〉「あっ」最期の指紋が消えた、〈キャスターは眉をひそめて「通常の通り魔像と異なりますね」/岡野大嗣〉通り魔に普遍性のある社会、〈鈴なりのカカオの下で八月の光をたべている少女たち/岡野大嗣〉カカオの実はマジックリアリスムのはじまり、〈夕焼けにイオンモールが染まっててちょっと方舟みたいに見えた/岡野大嗣〉現代の神殿としてのイオンモールは〈村民が幸福になるイオンへの忠誠心の高い順から/岡野大嗣〉にも。幸福は単純さ、なのかもしれない。

This video has been deleted. そのようにメダカの絶えた水槽を見る 岡野大嗣

「あらくれし日月の鈔」『八田木枯全句集』ふらんす堂

労組新春のつどいの日、「あらくれし日月の鈔」を読む。〈再会やピアノの端に雪降れり/八田木枯〉「ピアノの端」に「雪」という景へのこだわり。〈濤の間に歌留多の夜のたゆたひて/八田木枯〉波の躍動と児戯心の躍動と〈平仮名に波がかぶさる歌留多かな/八田木枯〉と比較して「たゆたふ」と「平仮名」は同じ働きをしている。〈埋葬の虹ひりひりとまつげにまで/八田木枯〉虹と睫毛のかたちの類似と視覚についての詩的言及。〈男のみ首すぢ濡らす藤の雨/八田木枯〉髪型の違いであるけれど「男のみ」とした清潔さが藤。〈病雁のまぶしすぎるよ手風琴/八田木枯〉雁と楽器と北辺の太陽という童話がある。

流涕や夕陽まみれのオートバイ 八田木枯

『寺山修司青春歌集』角川文庫

寺山修司というと私は川崎市の海岸地区を思い出す。暑すぎた夏の日々を、血の匂いのする夜の色彩を。それは戦後昭和の青春における体臭に似ているのかもしれない。〈啄木祭のビラ貼りに来し女子大生の古きベレーに黒髪あまる/寺山修司〉「古きベレー」に貧しさとひたむきさを、余る黒髪に情熱を。〈赤き肉吊せし冬のガラス戸に葬列の一人としてわれうつる/寺山修司〉肉屋と葬列、やがて「われ」にも順番に訪れる死への思い。〈ここをのがれてどこへゆかんか夜の鉄路血管のごとく熱き一刻/寺山修司〉私の南武支線として。〈トラホーム洗ひし水を捨てにゆく真赤な椿咲くところまで/寺山修司〉トラホームこと慢性角結膜炎の疼きとしての赤椿。

吸ひさしの煙草で北を指すときの北暗ければ望郷ならず 寺山修司

奥坂まや『妣の国』ふらんす堂

長靴にゴムを塗った日、奥坂まや『妣の国』ふらんす堂を読む。〈曼珠沙華茎に速度のありにけり/奥坂まや〉茎の直線性を「速度」とした妙手、〈まつすぐに此の世に垂れてからすうり/奥坂まや〉烏瓜の異界性を異界や他界などの単語を使わずに表現する。〈みんな顔のつぺり月の交差点/奥坂まや〉「月の」という省略が世界を広げるために効いている。〈いつせいにマスクをはづす一家かな/奥坂まや〉食事が一斉に来たのか、などと想像させる。〈内臓の重さ八重桜の重さ/奥坂まや〉内臓的なものと八重桜的なものとの共鳴が根底にある。

海は今しづかに月光の器 奥坂まや