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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

虫武一俊『羽虫群』書肆侃侃房

〈しまうまのこれは黒側の肉だってまたおれだけが見分けられない/虫武一俊〉しまうまの黒側の肉と白側の肉が違う肉だと見分けるのは色ではない、味だ。〈自販機の赤を赤だと意識するたまにお金を持ち歩くとき/虫武一俊〉コカ・コーラの赤だろう。赤は目には入っているが購買意欲を刺激する赤ではなかった。お金があれば刺激されるものもある。〈唯一の男らしさが浴室の排水口を詰まらせている/虫武一俊〉毛ではなく液だろう。〈敵国の王子のようにほほ笑んで歓迎会を無事やり過ごす/虫武一俊〉居場所のないけれど自分が主役の歓迎会をうまく言った歌。ひとつの記念碑となる。〈労働は人生じゃない雨の日を離れてどうしているかたつむり/虫武一俊〉「労働は人生じゃない」は金言集に収められる。〈水を飲むことが憩いになっていて仕事は旅のひとつと思う/虫武一俊〉と読み比べたい。

あかぎれにアロンアルファを塗っている 国道だけが明るい町だ 虫武一俊

 

 

伊藤一彦『瞑鳥記』現代短歌社

〈採血車すぎてしまえば炎天下いよよ黄なる向日葵ばかり/伊藤一彦〉赤と黄と青の色彩、採血車という危機めいた暗示。〈おびただしき穴男らに掘られいて恥深きかなまひるわが街/伊藤一彦〉工事現場だろうけど違う肉穴も想像してしまう。〈漂泊のこころもつときあかるくて余白のごとき一本の河/伊藤一彦〉目的のない旅、見知らぬ街の見知らぬ河川敷を歩きたくなる。雑念を流すように。〈古電球あまた捨てきぬ裏の崖ゆきどころなき霊も来ていし/伊藤一彦〉光を集める器具として電球に霊も集まる。〈鳥失せしあとのゆうぞら鳥の霊のこりているや烟るがにあり/伊藤一彦〉インディアンの長旅のような感じ。速く移動する鳥、その霊はその場に残る。〈夜の海を全速力に泳ぐときわれのこころを占むるアメリカ/伊藤一彦〉なぜアメリカか。遠い場所への憧れとして。〈体刑を子にくわえたる日の月夜ただよえるごとし草木もわれも/伊藤一彦〉子を叩くときの、まとわりつく罪悪感。

畢竟はかなしみとなる怒りかも雨降りしぶく冬桜道 伊藤一彦

 

光森裕樹『鈴を産むひばり』港の人

水銀は輝く。〈疑問符をはづせば答へになるやうな想ひを吹き込むしやぼんの玉に/光森裕樹〉答えを求めて問いを発する人は、すでに答えを持っている。〈どの虹にも第一発見した者がゐることそれが僕でないこと/光森裕樹〉二番手でも三番手でも僕にとってはそれは僕の虹のなのだけれど、一抹のさびしさがあること。恋の隠喩かもしれない。〈アラビアの林檎を知らない王様が描くりんごを黄砂に想ふ/光森裕樹〉想像の象みたいな果実。仮名の使い分けは適切だろうかと思う。〈ポケットに銀貨があれば海を買ふつもりで歩く祭りのゆふべ/光森裕樹〉銀貨という字面はなんでも買えそうな魔力をもつ。白銅貨もまた。〈金糸雀の喉の仏をはめてから鉱石ラヂオはいたく熱持つ/光森裕樹〉喉仏を鉱石ラヂオの黄鉄鉱や方鉛鉱のかわりに使うのだ。声が出るという共通点ゆえに。〈われを成すみづのかつてを求めつつ午睡のなかに繰る雲図鑑/光森裕樹〉雲図鑑が夢想めいていい。川や池ではなく雲へ焦点をあてるのは、心がすでに上の空だったからだろう。〈明日からの家族旅行を絵日記に書きをりすでに楽しかつたと/光森裕樹〉絵日記あるある。過去を書くのではなく、書きたい未来を書く。〈花積めばおもさにつと沈む小舟のゆくへは知らず思春期/光森裕樹〉思春期は水面より上しか見ていない。自らの責で沈めてしまうものには目もくれない。〈ポケットに電球を入れ街にゆく寸分違はぬものを買ふため/光森裕樹〉みちゆく人は誰もその人がポケットに電球を入れているなんて知らない。〈狂はない時計を狂はす要因のひとつとしての脈拍があり/光森裕樹〉時計へ差し挟まれる人間の時間。〈隣人の目覚まし時計が鳴り止まず君の何かが思ひ出せない/光森裕樹〉私の部屋が君への記憶、それへの回路を隣の部屋からの音で妨げられる。内向的な、という形容詞が合う。〈喫茶より夏を見やれば木の札は「準備中」とふ面をむけをり/光森裕樹〉営業中の札のうらがわが準備中なら店内から見れば外の世界は準備中かもしれない。いつか準備の終えた世界を思う。事実を発見した歌。〈[スタート]を[電源を切る]ために押す終はらない日を誰も持ちえず/光森裕樹〉発見の歌、パソコンとかも、そう。〈反戦デモ追ひ越したのち加速する市バスにてまたはめるイヤフォン/光森裕樹〉反戦デモの主訴を聴いていたのか、街の生活と同居する政治の表現が鮮やかであり青春のにおいがする。〈屋上の鍵のありかをともに知るみしらぬ人と街を見下ろす/光森裕樹〉と〈請はれたるままに男に火をわたす煙草につける火と疑わず/光森裕樹〉はある事象への別の、とある視点がある。〈オリオンを繋げてみせる指先のくるしきまでに親友なりき/光森裕樹〉「くるしきまで」の屈曲が親友であることの難しさ。

 

『林和清集』邑書林

第一歌集『ゆるがるれ』部分。〈父子というあやしき我等ふたり居て焼酎酌むそのつめたき酔ひ/林和清〉父子という関係の不思議さが三つの酉に現れている。〈熱帯の蛇展の硝子つぎつぎと指紋殖えゆく春から夏へ/林和清〉ふえる指紋に生き物の気配を感じる。〈灯さねどしんの闇にはならぬ部屋みなぞこにゐてめつむるごとし/林和清〉はるか遠くに希望にも似て光る水面がある。〈瓦斯の火の冷たいやうな青さ見ていつまでも目がはなせずをりぬ/林和清〉火の冷たいやうな青さという言い回しにくらっと来る。離すと跳びついてきそうな。〈死後の地につづく野の沖冬ざれて獣の皮のごとき夕暮/林和清〉獣の皮のような夕暮とはどんな色なのか、気になる。〈木賊など刈るひまもなし愛人がなにみごもりてすごき月映/林和清〉ちょっと心がここにない。〈いや果てに冬来たるらしわれかつて詩語のひとつと聞きたる「鉄冷え」/林和清〉製鉄の街の凩を思う。そう鉄の町は前近代は風の強い町だった。〈八百万神ある国や秋冷の地下駅にしろたへの雪隠/林和清〉男子用立小便器でいいだろう。聖俗の共鳴であるし、黄泉の国のスサノオでもある。

平出奔『了解』短歌研究社

風にたよりがち。〈月末の僕は公共料金を支払うことにためらいがない/平出奔〉自動機械のように当たり前とも疑問とも思わず払う。違う生き方もあったかもしれないけれど、とりあえず払う。〈本名で仕事をやってあることがたまに不思議になる夜勤明け/平出奔〉仮名でも充分通用するけれど、なぜか本名を使う僕らへのまなざし。〈誰だってパスタにレトルトカレーって思うとこまでいくんだろうな/平出奔〉極限までいく生活の例、保存の効く2つの食材の合いそうで合わない組み合わせ。〈比較的胃に優しいという薬飲んでそれでも長すぎる夜/平出奔〉胃が痛いとなかなか眠れない。日野百草丸がいい。〈風とかを言う言い方で今日眠くないですか? って言った月曜/平出奔〉眠気は午後には過ぎ去るものだから。〈東京にいてその1メートル先が東京じゃないことはありうる/平出奔〉概念としての東京はいつのまにかあらわれ、いつのまにか消える。〈別に誰も救えないかもしれないな 鳥の群れの数がわからない/平出奔〉鳥の群れは雑踏のようにおしよせる難問の数々、飛び去っていくことも。〈友達だけど会ったことない友達のブログにいつもあるいつもの病院/平出奔〉その人をアイデンティファイさせるものとして病院。〈あとはもう冷えるばかりの心臓は速さを変えながら鳴っていた/平出奔〉〈おそらくは持ってるという前提でお持ちですかと尋ねられてる/平出奔〉疑問形は持てという含意でもある。〈コンビニのジャスミン茶飲んでるくせに社会が苦手とか言っちゃって/平出奔〉麦茶なら気にならなかった。

民家からカレーのにおいがただよってそれを食べることは難しい/平出奔

鈴木加成太『うすがみの銀河』角川文化振興財団

ひとつ、あるいはふたつの印象的なことばから展開される広大な世界へ少年とともにゆく。ときどき漢語を歯がゆく思った。〈ボールペンの解剖涼やかに終わり少年の発条さらさらと鳴る/鈴木加成太〉発条にばねとルビ、日常のどこにでもある光景なんだけど「少年の発条」のことばの組み合わせが飛び跳ねそうでいい。〈飛行士は夏雲の果てに睡り僕は目を覚ます水ぬるき夕べに/鈴木加成太〉遠さと近さの対比、心のありかとは。〈蟬の声は夜にはどこへ行くのだろう水辺の街に投函をせり/鈴木加成太〉蟬の声の行方と投函をした封書の行方と。裏方の世界はどうなっているかへの探求心がある。〈早朝のバス停で聴くジョン・レノン こころの砂丘に雪降るごとし/鈴木加成太〉砂丘に雪を降らせることに疑いを挟ませない言い切り。〈重力というやわらかさ 惑星と紙飛行機の浅き接触/鈴木加成太〉宙に浮かぶ二つの物体は渦動説のエーテルを介して接触するだろう。〈第九番惑星消えてビリヤードの卓は煙草の香染みるみどり/鈴木加成太〉惑星とビリヤードの球との共鳴。みどりは宇宙の深さでもある。〈水底にさす木洩れ日のしずけさに〈海〉の譜面をコピーしており/鈴木加成太〉光のまばゆさが少年期である。初夏のしずけさのなかで心の旋律が複写される。〈缶珈琲のタブ引き起こす一瞬にたちこめる湖水地方の夜霧/鈴木加成太〉音がそのにおいを引き起こすのだ。〈海はすべて川の引用 その川をさかのぼりゆく月下の鮎は/鈴木加成太〉「鮎は」のつきはなしに、夜の海から川へ次々と遡上してゆくうごめく無数の生命を思う。〈はつなつの水族館はひたひたと海の断面に指紋増えゆく/鈴木加成太〉多くの人が訪れた証として、海がそこで途切れた記録として指紋は残される。〈劇中葬より抜け来しように黒き傘ひらく共産党員の祖父/鈴木加成太〉の祖父が〈虹の根のあたりが祖父の少年期/鈴木加成太〉の祖父なんだと思うとグッとくる。〈しろながすくぢらの息を吐きながら新宿の夜に着く夜行バス/鈴木加成太〉あのぶしゅーという音だろう。代々木のころのバスターミナルだとなおいい。〈使はなかった銃をかへしにゆくような雨の日木蓮の下をくぐりて/鈴木加成太〉これでよかったんだ、とでもいうような感情につつまれて木蓮の白だ。〈洗濯機の序破急の音を聴きゐたり乱るるところ越えて瀬の音/鈴木加成太〉ぜったいシンエヴァンゲリヲンの影響下にまだあったろう。

雪舟えま『緑と楯 ロングロングデイズ』短歌研究社

〈夜空から直接風が吹いてくる実家とは荒削りなところ/雪舟えま〉「直接」がいい。田舎の、平原にぽつんと建つ一軒家を思う。星空の下の灯とか。〈やすらぎは死後でじゅうぶんだといって君は私を妻と定めた/雪舟えま〉ファムファタール味がある。〈ヤクルトをひさぐ身に地は柔らかくこの先は海、そのあとは春/雪舟えま〉地のやわらかさはヤクルトレディの履くスニーカーの靴底のやわらかさかもしれない。〈下り坂は気づきやすくて目が眩むどれだけ愛されていたかとか/雪舟えま〉愛の下り坂でしか気づけないこともある。〈名を呼べずその顔を見て喋れずに鎖骨が鳥のようだったこと/雪舟えま〉視線が鎖骨におりていく。いや、そこしか見られなくなって鳥。〈この体が地図だったなら君がゆく町のあたりがほのかにかゆい/雪舟えま〉なんかそこが気になってしまうから。

佐藤弓生『モーヴ色のあめふる』書肆侃侃房

〈土くれがにおう廊下の暗闇にドアノブことごとくかたつむり/佐藤弓生〉暗闇のなかのドアノブは、異世界と通じてぬらぬらと光るかたつむりのような冷たさと異物感とがある。〈泣き方を忘れた夜のこどもたち蛙みたいに裏返されて/佐藤弓生〉新生児室だろうか。〈引力の生まれたてなるうれしさに落ち葉は落ち葉のまわりをまわる/佐藤弓生〉枝から切り離されたとき、自由という引力を得る落ち葉よ。〈されこうべひとつをのこし月面の静の海にしずかなる椅子/佐藤弓生〉拡張人類滅亡後の月面の静寂がうつくしい。さびしくなんかないよと椅子が言う。〈なきひとに会いにゆく旅ナトリウムランプのあかりちぎれちぎれて/佐藤弓生〉ちぎれそうなのは風で動くから。旅は動く動く。〈新聞受けに新聞なくて惑星の昼ひそやかに藍色のドア/佐藤弓生〉新聞という世事を報せる道具が来ない扉は、藍色に冷たくて、世界から隔絶された空間へ繋がっていそうだ。別世界と隣り合わせの扉についての歌。〈地をたたく白杖の音しきりなり地中の水をたどるごとくに/佐藤弓生〉盲人の歩みに新たな意味を見出す。〈もう誰も月を覚えていないはるじおん咲きひめじょおん咲き/佐藤弓生〉印象的な一言めいたことばと写生の組み合わせ。〈曲がるたび月みえかくれするバスに耳たぶうすく透けゆく子ども/佐藤弓生〉色と質感の相似を楽しむ。〈詩を思うときのなずきいいにおい くちなしいろの月が上がった/佐藤弓生〉詩を思うときの脳のにおいと政治を考えるときの脳のにおいは同じか、それとも違うのか。私は同じ、焦げるようなにおいがすると思う。〈いつもより月が大きい 紙芝居みたいな生を生きおおせたい/佐藤弓生〉月を大きく感じる心持ちが、いつもより作りごとめいた夜の世界をはじまる。〈捨てられた子どもがつどう港あり月のいちばんあかるいところ/佐藤弓生〉港の倉庫とかに集めら……、いや集まっているこどもたち。埠頭でなにして暇をつぶすのか。

月は死の栓だったのだ抜かれたらもういくらでも歌がうたえる 佐藤弓生

栗木京子『新しき過去』短歌研究社

中立的というより詩の混沌にまで昇華できた社会詠をときどき読みたくなる。〈占領期といふ濃霧の日々ありき謀殺の文字ただ忌しく/栗木京子〉1949年国鉄三大ミステリー事件の一つ下山事件について。濃霧の日々というのが歴史感覚と合う。〈前を行く男女のつなぐ手はかつて蹄なりしか鰭てありしか/栗木京子〉現代の恋人の手つなぎにムカシクジラたちの世を思う。〈花の蜜よりも木の蜜しづかにて眠れぬ夜の紅茶に垂らす/栗木京子〉きっとメープルシロップ。〈海沿ひの道に給油所明るくて夏を連れ来る一滴の雨/栗木京子〉ちょっとした車旅に雨、夏への華やぐ心を抱えながら。〈楽しきもの想ひ眠らむひまはりの野をゆく移動図書館などを/栗木京子〉移動図書館のちょい田舎感がいい。至福の光景かも。至福の光景といえば〈叡山を下りて雄琴に来しことありソープランドの街とは知らず/栗木京子〉も、また。〈食パンの上にレタスを置くやうに街にゆふべの冷気降りくる/栗木京子〉レタスにまつわる水気とかを思わせる比喩だ。かすかに触れて降りくる。〈飛行機の狭きトイレで気付きたり生きてゐる身は伸び縮みする/栗木京子〉トイレは気付きの場と言われるけれど、非常な場所だからこそ気付くこともある。〈近すぎると思ふは哀し手から手へ受け渡さるる赤きゴムまり/栗木京子〉新型コロナウィルスの比喩として赤いゴムまりというのは面白い。〈一等星多きがゆゑに冬空は怖しと昔あなたは言ひき/栗木京子〉明るすぎる星は宇宙の深さを想像させるがゆえだろう。〈末枯れつつ冬に入る野よ半死語より死語へと移るほどのしづけさ/栗木京子〉ことばの寿命が尽きてしぬほどの冬寂、唇が動かなくなることでもある。

麦星よ狩の民には近く見え海の民には遠く見えしか 栗木京子

春日いづみ『地球見』短歌研究社

恵まれた世代の詩という感じ。〈雁垂れの厨と厠を書き込めば図面に水音仄かにひびく/春日いづみ〉設計図面に生活がありありと再現された、水道管はまだ書き込まれていないけれど。〈国家なきクルドの民に長閑にも「お国はどちら」と聞きてしまへり/春日いづみ〉エスペラントの造語法ではkurdioなんて言えてしまうけれど。〈ヘブライ語の時制を語る君のこゑ雪の京都ゆ湿りを帯びて/春日いづみ〉哲学あるいは神学と冬の京都の共鳴は好き。〈わが胸に球根植ゑし心地なり一体一体めぐりしのちは/春日いづみ〉球根がいいね、彫像展を観た比喩として。〈浮きあがる突起を友は星と呼び展示は神秘とかの日語りぬ/春日いづみ〉点字読みは星読みとなる。〈指に読む文字にいかなる響きありや点字聖書を購ひに行く/春日いづみ〉手話や点字の神秘さと宗教とがよく合う味わい。〈残りわづかな消毒液を噴霧してドアノブ拭けば銀のかがやき/春日いづみ〉銀のかがやきはそこにいた細菌が死滅したその遺骸のかがやきだ。〈アドレスにpacem友は灯しをり送信の度ひろがるpacem/春日いづみ〉「※ラテン語 平和」としか書いていないけれどpacemは平和paxの単数対格、ミサなどで言うdona nobis pacem.などに由来するのだろう。〈アラビア語の光はヌールやはらかき若草のやうな文字をなぞれり/春日いづみ〉نور、この単語はイスラーム神学などでよく使われる。

加藤治郎『海辺のローラーコースター』書肆侃侃房

レモンが印象に残った歌集だった。〈ボディソープぬりたくっているやわらかい刃に指を滑らせながら/加藤治郎〉やわらかい刃は熱を帯びた危険な皮膚だ。〈あちこちにスイッチがあるまちがって明るくなった地球の一室/加藤治郎〉地球から一室への想像力の落差にくらくらする。〈Excelのセルにレモンを置いてきて午後は静かなオフィスである/加藤治郎〉レモンという小道具の色が静寂のなかに生きる。〈本棚はことばの湊 未来の友とあなたの歌を語りつくしたい/加藤治郎〉未来は未来だろう。〈家にいろ(旅に出ようよ(ぬばたまの黒いリュックの配達バイク/加藤治郎〉これもまたウーバーイーツ短歌として。〈咳をしてもよろしいですかさらさらと月のひかりは水槽に差す/加藤治郎〉咳さえためらわれるほどの静けさのなかに、月光の刺さる水槽の、たとえばあぶく。〈頭部にはずいぶん穴があることのどうかしている眠れない夜/加藤治郎〉穴からいろいろ入ってきて眠れないんだ。〈にんげんの断面図みる想いあり満員電車鉄橋を渡る/加藤治郎〉鉄橋にもしピアノ線が結んであったら、どのように人々は切れるのか、なんて想像する朝の満員電車である。〈現在は無所属という略歴の春の渚にたわむれている/加藤治郎〉根無し草であるのは自由だけど、ちょっと手持ち無沙汰である。

中也*1は自由詩に向かう過渡期の詩人だったのか。そうではないだろう。音数律詩と自由詩を統合した〈民族の詩〉を構想していたのではないか。(加藤治郎「詩歌の旅人」)

くちびるを見せあっている散る花の鶴舞公園風の冷たさ 加藤治郎

*1:引用者註:中原中也、1907-1937 詩人。

佐藤弓生『薄い街』沖積舎

〈だしぬけに孤独のことを言う だって 銀河は銀河の顔を知らない/佐藤弓生〉象の背を知らない象のように向き合えない銀河の巨大さ、孤独がある。〈弥生尽帝都地下鉄促々と歩行植物乗り込んでくる/佐藤弓生〉年度末に通勤する種族は脳のない植物人間のようなものかも。それと〈読む人の読む文字ぬすみ見てしより前頭葉はやわやわ芽吹く/佐藤弓生〉の植物感とは呼応する。〈ひとのためわが骨盤をひらくとき湖の底なる浴槽はみゆ/佐藤弓生〉水底に沈む浴槽に、自らの子宮のなにを投影するのか。〈五月五月わたしはふいごのようである風が枝踏む森に抱かれて/佐藤弓生〉わたしから出る風がまるで私のようにして森をさまよう。〈星動くことなき夜のくることもなつかし薄き下着干しつつ/佐藤弓生〉全てが止まった夜、ほぼからだひとつで宇宙へ出る。そこで得られる浮遊感の味はおいしいか。〈花に箸ふれさせるとき生きてきた香りほのかにほろにがい骨/佐藤弓生〉箸のつよさほどの感触が愛おしくなる、うつくしさ。〈火にこころ吸われておれば蠟燭はこころの外をくらくするもの/佐藤弓生〉火へこころが吸われたら火も薄れてくるかな。こころの外を明るくするはずの蠟燭がこころに火を奪われることでなぜかこころの外を暗くしてしまうのだ。こころは点らない。〈うごかない卵ひとつをのこす野に冷たい方程式を思えり/佐藤弓生〉鳥の卵か恐竜の卵か、そこに卵がのこってしまった自然のうごきは冷たい方の方程式でしか解けない。〈復讐はしずかなるもの氷たち製氷室に飼いならされて/佐藤弓生〉一定の温度に保たれて保管される復讐心というおそろしさ。〈川の街わたりわたりて行き交うに川の前世を誰も知らない/佐藤弓生〉誰の気にもとめられない、でも確かにあるもの、としての川。〈とざすべきまぶたいちまいもたぬ空 ころされるのはこわいだろうか/佐藤弓生〉直視しなければならない、殺されるのを。〈みずいろの風船ごしにふれている風船売りの青年の肺/佐藤弓生〉肺の模型として風船が使われることもある。〈この人といつか別れる そらみみはいつも子どもの声をしている/佐藤弓生〉幼少期の自分がいつまでも心の隅にいて、語りかけている。〈靴ひもをほどけば星がこぼれだすどれほどあるきつづけたあなた/佐藤弓生〉歩き続けて疲れてからだからぽろおろこぼれ落ちていくものがある。それを星とよぶということ。〈風ゆきつもどりつ幌を鳴らすたび四月闌けゆく三月書房/佐藤弓生〉懐かしい、今はない京都の書店。月の境界の淡い感じ。

骨くらいは残るだろうか秋がきて銀河と銀河食いあいしのち 佐藤弓生

野村日魚子『百年後嵐のように恋がしたいとあなたは言い実際嵐になったすべてがこわれわたしたちはそれを見た』ナナロク社

あまりにも独特すぎる調べはそれぞれの読み手に自分だけの内在律かもと錯覚させる。〈四番目に来た男の靴が濡れていて雨に飛び降りた人だと思う/野村日魚子〉どこの、何の列だよ。服が濡れていないのは靴を脱いだからか。〈生きてると死んだの間に引く線のあまりにぐにゃぐにゃであることを話す/野村日魚子〉脳か心臓か腸か血液かで歪む境界線。曖昧だからこそ人は知りたがる。〈殺されて死ぬのだけはいや何万もの架空のみずうみとその火事/野村日魚子〉問いと答えの歌、湖の火事はありえないかもしれない。でもそのありえない架空の出来事を想像すると、それだけは嫌だと思える避けたい感情が水面に走る。それがトリガーだ。〈それはとても寂しいことだという あなたを知る天使はみな表面積の少なく/野村日魚子〉優等生的に理知でに世界をとらえようとする措辞、この「表面積の少なく」は。もちろんその把握は自らをも絡め取ろうとする。ただ、天使は幾何学的な存在ではあるけれど。同じ理知の傾向は〈雪が四角ではないのとおなじように死んではいないのだあなたも/野村日魚子〉にも見られる。〈屋上へ向かうとき少しずつ地上がはなれても羽は生えていないこと/野村日魚子〉日常から抽出された発見である。〈犬小屋が燃えてるそばできみはうつくしい月の生活を話す/野村日魚子〉くりかえされる火事のモチーフ、グチャグチャの乱れと平穏な美しさの対比、あるいは落差か。〈ぼくはまだ死にたくはない前髪の雪をはたいてゆく青信号/野村日魚子〉赤信号が雪のなかにちらつく。すぐに信号機は変わってしまうと知っているから、しかし変わるのがいつなのかは分からないということも、知っている。〈幽霊が出てくる映画 主人公は幽霊で 家族も友人もみな幽霊だった おれは席を立ち映画館を出た/野村日魚子〉観客も幽霊だったから。〈記憶の中の人間が好きだ 記憶の中の人間はわたしにさわれない/野村日魚子〉人間は会ったその瞬間から記憶の中の人間になる。ひとは誰と対面していても自分の記憶の中の人間としか話せない。それでも?

奥村知世『工場』書肆侃侃房

職業詠のひとつである肉体労働者詠は私の配達者詠と重なるところがある。〈先芯が鉄から樹脂へ替えられて安全靴はやや軽くなる/奥村知世〉樹脂と軽さに一抹の不安。〈夏用の作業着の下をたらたらと流れる汗になる水を飲む/奥村知世〉汗を流すための水分として水を飲む機械としての人間。〈工場のしっぽのエノコロ草たちが排気ダクトの風にたなびく/奥村知世〉「工場のしっぽ」がいい。ひとつの巨大で気まぐれな猫として工場をとらえた。〈魔法瓶その中だけが温かい本社の部屋に背広が並ぶ/奥村知世〉体の芯まで冷え切っている会議室だ。〈寝ることと死ぬことの差がわからずに子どもは眠りと夜を怖がる/奥村知世〉だから奴らはすぐ起きるのか。〈できるのはそわそわすることだけと言う夫に水を買いに行かせる/奥村知世〉無痛分娩かなと思ったら帝王切開だった。〈忘れ物を私の中にしたような顔で息子が近づいてくる/奥村知世〉子宮のなかに子の残留思念あり。〈プレハブの女子更衣室に女子トイレ暗い個室に便座はピンク/奥村知世〉無機質の連続のなかに突如として出現する有機質みたいなピンク。〈髪の毛にヘルメットの跡くっきりと後輩の今日ノーメイクの日/奥村知世〉だらしない日ではなく、自分を生きる日として。〈レゴに住むレゴの男女は頭頂にひとつずつ持つレゴの凸部を/奥村知世〉男女がわからないけど、その凸部は可能性の秘められた凸部。

マンモスが絶滅しても男らは誰が一番速いか競う 奥村知世

谷川電話『深呼吸広場』書肆侃侃房

みんな谷川電話の恋人になりたがる。〈幻に負けない暮らし 心から白湯を冷めても白湯と呼びたい/谷川電話〉幻に名をつけ愛でるフェティシズムは、しかし人を、人の暮らしを支えてきた。〈水槽を光と影を飼育するために窓辺に置いてそれから/谷川電話〉何も入っていない水槽って、いいかも。〈恋人のではないおしっこの音はどこか物足りないと感じる/谷川電話〉生活音として、ほかのおしっこの音では物足りない。それほどの恋。〈雨粒が窓に衝突するたびに開花するのにまだ気づかない?/谷川電話〉ほんの一瞬だけだけど開花して散花する。〈全員の元恋人が復縁をしたがるだろうこの日食で/谷川電話〉日食のもつ不思議な力はあやうい感情へ人をひきよせるのか。〈がんばればきみの唾液に類似した唾液を分泌できそうなサマー/谷川電話〉酷似じゃなくて類似。味が似ていればいい。〈きみが雪だるまを壊す柔らかい手つきに宿る倫理の歴史/谷川電話〉アリストテレスからはじめて雪だるまの破壊まで。精神と肉体は並行して走る。〈夕焼けから隔たれている地下街でこわごわと言いあうあいうえお/谷川電話〉あいうえおは愛のささやきのよう、地下シェルターみたいな地下街で、言う。〈銭湯へそして花屋へ 自転車は天使をこわがらせない速さで/谷川電話〉自転車の速さの形容が秀逸。日常にすべりこんだ異世界なんだ、これは。〈アーモンドミルクラテには蜂蜜という祝福をまぜて、ほら、朝/谷川電話〉朝をいつもの飲み物ではじめる。ちょっとした祝福を足して。日常と祝福との比較が光る。

本心は教えあわずに突堤でクジラの自然爆発を聞く 谷川電話

深呼吸広場

深呼吸広場

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