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バビロニアでは、宮殿と神殿を分けて配置したが、アッシリアでは宮殿と神殿を分けずに統合し、しかも城塞(シタデル)地区に配置している。(小林紀登志子『アッシリア全史』中公新書)
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今日必要され、また可能な労働の組織化形態とは、旧来の労働組合の区分をすべて取り払い、経済、政治、社会のすべての側面で〈共〉になりつつある労働を代表しうるものだ。(アントニオ・ネグリ/マイケル・ハート、幾島幸子訳『マルチチュード(上)』日本放送出版協会)
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新しいグローバルな闘争サイクルとは、〈共〉を開かれた分散型ネットワークの形で動員するものであり、そこに管理を行う中央は存在せず、すべての節点は自由に自己表現を行う。(アントニオ・ネグリ/マイケル・ハート、幾島幸子訳『マルチチュード(下)』日本放送出版協会)
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主権者の身体は文字どおり社会という集団全体なのである。(アントニオ・ネグリ/マイケル・ハート、幾島幸子訳『マルチチュード(下)』日本放送出版協会)
- マルチチュードは社会集団ではなく群衆
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第一に話すという人間の能力は〈共〉、すなわち私たちが共有する言語にもとづいていること、第二に人間の言語行為は〈共〉を創出すること。そして第三に発話という行為自体が対話やコミュニケーションという形で〈共〉のなかで行われるということだ。(アントニオ・ネグリ/マイケル・ハート、幾島幸子訳『マルチチュード(下)』日本放送出版協会)
- 一者による君主制・少数者による貴族制・多数者による民主制↔一にして多のマルチチュード
- ynozaki2024の日記
- ロシアでは詩を暗唱できるのが教養人の証明になるそう。小説より詩のほうが地位は上だそう。
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孫文はほどなく英国を離れた。このとき、熊楠の日記とサイン帳に「海外逢知音(海外にて知音と逢う)」と惜別の辞を記している。(徳島新聞、鳴潮(3月9日付))
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ハブル河上流地域は年間二〇〇ミリメートルから四〇〇ミリメートルの降雨量に恵まれ、天水農耕が可能である。(小林紀登志子『アッシリア全史』中公新書)
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アッシリアの軍事的な強さは経済力つまり豊かな農業国であつまたことに由来する。(小林紀登志子『アッシリア全史』中公新書)
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火災によって王宮は破壊されたが、火災のおかげで粘土板が焼成されて保存の効く状態で埋もれていた。(小林紀登志子『アッシリア全史』中公新書)
- ↑エブラ文書
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カールムとは「波止場」「商人居留区」「商人共同体」などを意味するアッカド語である。(小林紀登志子『アッシリア全史』中公新書)
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ビート・カールムはアッカド語で「カールムの家」を意味し、どこのカールムでもその経済活動の中心であった。(小林紀登志子『アッシリア全史』中公新書)
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谷脇さんが「百匹ブックス」を立ち上げたのは昨年4月。「作り手として共感できる人と、小規模に、良い本を出していきたい」との思いからという。(徳島県内の文芸書き手の作品 「小さな出版社」から刊行 会社増加で地方に目線徳島新聞2025年1月21日)
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村上春樹にも、川口君事件からの影響は見られて、事件前後の早稲田の状況を念頭に置いて書かれたと思われる「街と、その不確かな壁」(『文学界』一九八〇年九月号)が、その一例ですよね(「映画『ゲバルトの杜』徹底批判」『全共闘晩期』航思社)
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「川口君事件」発生当時の第一文学部には、村上春樹や中島梓(栗本薫)など、後に小説家・批評家としてのキャリアを築いていくことになる者たちが、学生として在籍していた。彼らもまた、この「事件」に強い衝撃を受け、様々な形で「事件」を表象=代行しようと試みている。(照山もみじ(金子亜由美)「「川口君事件」をいかに「語る」か」『全共闘晩期』航思社)
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亀田――余談ですけれど、戸山キャンパスの向かいの「あかね」の前のオーナーによると、村上春樹は「あかね」に来て『少年マガジン』をいつも読んでいたという印象が残っていたとのこと。(「虐殺者の側に立つ映画」『全共闘晩期』航思社)
- 殺された鼠
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奥島が排除したのは革マル派ではなく、ノンセクト系学生とすべての学内自治自主活動の基盤であり、早大当局が学内統治のパートナーとして新たに採用したのは、資本の論理/倫理を完全に内面化した起業マインドに溢れたネオリベ学生群であった。(花咲政之輔「昂揚会・原理・早稲田リンクス」『全共闘晩期』航思社)
- 上メソポタミア王国のシャムシ・アダド一世
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好戦的なフリ人の影響を強く受け、アッシュル・ウバリトは王の武装勤務という名称のもとに、自由農民を中心に軍隊を組織した。(小林紀登志子『アッシリア全史』中公新書)
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群青の絵具をいっぱい残しまま中学校を卒業した日/後藤克博(『光は瞳をさがして』左右社)
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排水溝から顔を出してるタンポポは不幸せとは思っていない/後藤克博(『光は瞳をさがして』左右社)
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バビロニアでは一律に規制しない女性の行為が、アッシリアでは規制の対象になっている。それというのも、アッシリア社会はバビロニアとはとちがって、家父長権が強く。女性の地位も相対的に低かったようだ。(小林紀登志子『アッシリア全史』中公新書)
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アッシリアでは、前一一〇〇年頃にふたこぶらくだをメディアから山岳交通用に、前七〇〇年頃にひとこぶらくだを砂漠での輸送用に導入した。らくだが兵站を担うことで、砂漠を横断する大規模な軍事遠征が可能になった。(小林紀登志子『アッシリア全史』中公新書)
- ひとこぶらくだは体毛が短く暑さに強い。
- ふたこぶらくだは体毛が多く寒さに強い。
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書写材料としては粘土板や羊皮紙、皮だけでなくパピルスも使用された。楔形文字は湿った粘土板に特殊な削り方をした葦ペンを押すので、インクは必要ない。だが、アラム文字は当然インクが必要である。(小林紀登志子『アッシリア全史』中公新書)
所以218
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こうした都市共同体間の合意に基づいて築かれた枠組みに守られながら、アッシュルの商人たちは、私的なビジネスを存分に展開した。、そこにはローンや信託投資の方法を含んだ高度な商業活動が含まれる。(山田重郎『アッシリア 人類最古の帝国』ちくま新書)
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アッシリアの新年が本来どの季節に始まったのかはなお不明だが、冬至の季節であった可能性が論じられている。(山田重郎『アッシリア 人類最古の帝国』ちくま新書)
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メソポタミアの「王の統治年」方式は、王が即位した年を「即位年」とし、正式な「治世第一年」が翌年から始まる「即位年方式」である。(山田重郎『アッシリア 人類最古の帝国』ちくま新書)
- 王宮報道官 nāgir ekalle
- 太政官 sukkallu
- 大宰相 sukkallu rabi'u、ハニガルバトの王
- 軍の長 turtānu
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アッシリアの領域支配は、完全に一円ではなく、地方王国が自治権を維持してアッシリア領内に飛び地として残るケースがあることも知られるようになった。(山田重郎『アッシリア 人類最古の帝国』ちくま新書)
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二〇二〇年に公表された佐野克司の研究によれば、アッシリアの強制移住政策により移動した人口は一五〇万人ほどという見積もりが示されている。(山田重郎『アッシリア 人類最古の帝国』ちくま新書)
- 捕囚政策
- 行政州における民族の多様化と王国中心部への蓄積、影響圏にある属国という大国家≒帝国
- アッカド語を粘土板に残す書記とアラム語を羊皮紙かパピルスに残す書記の二重書記システム、帝国の言語
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不善之人、未必本悪、習以性成、遂至於此(後漢書陳寔伝)
- 稽顙(稽首):額を地につけて敬礼すること
- ものの価値は携行性と頑丈さに置く。
- 凡人主義 qualunquismo
- 身代わり王の儀式
- 粘土板に楔形文字で書かれる詩と木簡に筆で書かれる詩と和紙に筆で書かれる詩とパピルスに葦ペンで書かれる詩と羊皮紙に羽根ペンで書かれる詩とスマートフォンにキータッチで書かれる詩は違うものになる。
- 速度と費用と譬喩の重さの違い
- 古代の譬喩の重さは筆記具に由来する
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湿った粘土を使います。左手に3~5センチの長方形の粘土板を持ち、右手で葦の先端を削った筆を押し当てて文字を書きます。左から右に書いていき、一行書き終わるたびに、罫線を引きます。表の面が書き終わると、ひっくり返して裏面に、そして、側面に書いていきました。乾燥させると、粘土板はかなり硬くなり、長く保管できました。(楔形文字粘土板文書データベース)
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素材は粘土ですので、間違えた部分を削り取ってその上から字を書くことができました。(楔形文字粘土板文書データベース)
- 松本圭二
- 京都大学オープンコースウェア
- 「居場所をつくる」は良い意味で捉えられがちだけれど、居場所には場の権力が発生する。
- 居場所よりネットワークをつくろう
- デンマークの郵便配達、400年の歴史に幕…郵便ポストも順次撤去
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デンマークは世界で最もデジタル化が進んだ国の一つ。公的書類もデジタル化が定着し、ポストノルドによると、手紙の取り扱いは2000年の14億5千万通から、24年には1億1千万通へと90%以上減少した。(デンマーク、25年末に手紙配達廃止 ポストも撤去へ)
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「果実(月神シン)、月の主」(山田重郎『アッシリア 人類最古の帝国』ちくま新書)
- 書板 lē'u
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粘土板は焼失することも朽ちることもなく地中に保存され(山田重郎『アッシリア 人類最古の帝国』ちくま新書)
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いずれにせよアッシリアの滅亡は、おそらく、政治と行政の混乱、国家体制の動揺、経済的困難、外敵による攻撃といった要因が、複合的に作用したことで起こったと考えるべきだろう。(山田重郎『アッシリア 人類最古の帝国』ちくま新書)
所以217
- ネグリによるマルチチュードの定義:さまざまな特異な差異からなる多数多様性を示すとともに、そのようにつねに多数多様でありながらも共同で活動することのできる、絶対的民主主義の構成主体のこと。
- multitude/multitudo
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だが私たちはこう信じている。彼らには闘争の外部にいる人びとよりもはっきりとしたヴィジョンがあり、そして彼らはおのおのが置かれた特異な状況やローカルな闘いと〈共〉をめぐるグローバルな闘争とを矛盾なく繋ぎ合わせる、ことができる、と。(アントニオ・ネグリ他『叛逆 マルチチュードの民主主義宣言』NHK出版)
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運動はリーダーを立てる代わりに、組織化のための水平的なメカニズムを発展させていったのである。それらの運動は、指令部を立ち上げたり、中央委員会を作ったりすることなく、昆虫の群がりのように拡大していった。(アントニオ・ネグリ他『叛逆 マルチチュードの民主主義宣言』NHK出版)
- 代表制の拒絶とそれに代わる民主的参加の基本構想の構築
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負債は人びとを管理する。(アントニオ・ネグリ他『叛逆 マルチチュードの民主主義宣言』NHK出版)
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負債の効果は、労働倫理のそれと同様に、休まず精を出して人びとを働かせることにある。(アントニオ・ネグリ他『叛逆 マルチチュードの民主主義宣言』NHK出版)
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ドゥルーズは言う。多くの場合、私たちに必要なのは、情報やコミュニケーションではなく、思考に必要な沈黙である、と。(アントニオ・ネグリ他『叛逆 マルチチュードの民主主義宣言』NHK出版)
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換言すれば、政治的行動と解放の問題にとってもっとも重要なのは、情報、コミュニケーション、表現の量ではなく、むしろそれらの質なのである。(アントニオ・ネグリ他『叛逆 マルチチュードの民主主義宣言』NHK出版)
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たえ間なくメディアに注意を奪われた主体性(アントニオ・ネグリ他『叛逆 マルチチュードの民主主義宣言』NHK出版)
- 監視の客体であると同時に主体でもある私たち
- 失業の恐怖
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代表制が実際には民主主義を媒介する手段ではなく、民主主義を実現するうえでの妨げになっているということ(アントニオ・ネグリ他『叛逆 マルチチュードの民主主義宣言』NHK出版)
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カール・シュミットが指摘するように、代表するということは、不在を現前化すること、つまり実際には存在していない〔=誰でもない〕者を現前化することを意味する。(アントニオ・ネグリ他『叛逆 マルチチュードの民主主義宣言』NHK出版)
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代表された者は、他の主体形象と同じようにごまかしや神秘化の所産である。(アントニオ・ネグリ他『叛逆 マルチチュードの民主主義宣言』NHK出版)
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負債の返済を拒絶する目的は、貨幣の権力と、貨幣が創り出す束縛を粉砕すると同時に、新たな紐帯と新しい負債〔=恩義〕の形態を構築することなのである。そうすることで、私たちはますます互いに恩をほどこし合い、金融による束縛ではなく、社会的紐帯によって結ばれるようになるのだ。(アントニオ・ネグリ他『叛逆 マルチチュードの民主主義宣言』NHK出版)
- 社会的紐帯のための詩幣という思想
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ネットワークを形成し、そのなかで能動的にコミュニケーションを交わすことができるようになるためには、まずあなたが特異性に生成変化しなければならない。(アントニオ・ネグリ他『叛逆 マルチチュードの民主主義宣言』NHK出版)
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けれども実際に拒絶し逃走できるのは、あなたが自分の力能に気づくときだけである。(アントニオ・ネグリ他『叛逆 マルチチュードの民主主義宣言』NHK出版)
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マジョリティは、均質な単一集団にも、同意にもとづく集団になることはなく、諸々の差異を連結したものとなる。(アントニオ・ネグリ他『叛逆 マルチチュードの民主主義宣言』NHK出版)
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諸々のマイノリティの保護は、分離することによってではなく、プロセスに参加する力をあたえることによってなされる。(アントニオ・ネグリ他『叛逆 マルチチュードの民主主義宣言』NHK出版)
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〈公〉から〈共〉へ(アントニオ・ネグリ他『叛逆 マルチチュードの民主主義宣言』NHK出版)
- 共 il commune
- 潜勢力 potenza
- 共民、コモナー
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異なる社会集団は、闘争の過程で、おのおのが特異性として互いに作用し合いながら、相互の交換を通じて、啓発され、鼓舞され、変容させられるのである。(アントニオ・ネグリ他『叛逆 マルチチュードの民主主義宣言』NHK出版)
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それらの集団は、闘争の外部にいる人びとにはたいてい聞こえなかったり、理解できないなかったりする低い周波数で〔=声を落として〕、互いに語り合うのだ。(アントニオ・ネグリ他『叛逆 マルチチュードの民主主義宣言』NHK出版)
- 展示や作品を目的とせず、企画によって社会を標的とする。
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マルクスにとっては、技術とポエジーは切り離せないし、ポエジーは最終的に存在の余白へと押しやられはしない。ポエジーは隅っこにあるようなものであるどころか、反対に、生産(そして、生産への指令〔comando〕、すなわち搾取)によって課される諸条件にたいする、生きた労働の超過を表現する。(トニ・ネグリ『芸術とマルチチュード』月曜社)
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行為することのただなかから美の実践を実現する作用としての、詩学だけが、存在し、生起し、存続しうるということなんだ。どんな言説も美の実践を描き出すことができなくなる――詩学の性質をもつ言説だけが、自己表現しうることになるんだ。(トニ・ネグリ『芸術とマルチチュード』月曜社)
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詩学は、存在論的潜勢力に、すなわち、抽象が具体化するための道具になるんだよ。(トニ・ネグリ『芸術とマルチチュード』月曜社)
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芸術とは集団的労働であり、そのマチエールは抽象的な労働である、ということだ。労働の脱人間化において、芸術もまた実現されつつあった。(トニ・ネグリ『芸術とマルチチュード』月曜社)
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芸術とは、だから、集団的労働の生産物のひとつだ。(トニ・ネグリ『芸術とマルチチュード』月曜社)
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集団性がなければ生産はない。言語がなければ話〔parole〕はない。精算と言語とがなければ芸術はない。芸術とはなによりもまずこの綜合なんだ。(トニ・ネグリ『芸術とマルチチュード』月曜社)
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芸術が剰余価値から区別されるのは、芸術労働が自由な〔解放された〕労働である限りにおいてのことであり、したがって、生産される価値が、自由に生産された存在の超過である限りにおいてのことなんだよ。(トニ・ネグリ『芸術とマルチチュード』月曜社)
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詩的形象の誕生は市場のうちにある。(トニ・ネグリ『芸術とマルチチュード』月曜社)
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芸術家が崇高と手を切りその彼方へと身を乗り出すとき、彼が連れて行くのは抽象の経験だ。(トニ・ネグリ『芸術とマルチチュード』月曜社)
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詩の活動とは、大衆から彼らの力を奪うものではなく、ただひたすら、新たな表現形態を、新たなコミュニケーション形態を、そして対象に適った新たな言葉を構築するものなんだ。(トニ・ネグリ『芸術とマルチチュード』月曜社)
- ポエデイと詩丼と
- 文学作品展示即売会の資本主義・帝国主義から距離を置く、群衆による詩歌展示販売会
- 今田ずんばあらず、#ポエデイ、小さくて個性的で、そして最高のイベント
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マルチチュードは、マルチチュードの想像力〔構想力〕のいっさいは、運動しているんだ。(トニ・ネグリ『芸術とマルチチュード』月曜社)
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前衛が芸術であり、芸術が前衛であるとするならば、《前衛=大衆》としての《avanguardia di massa》とは、《芸術=大衆》、すなわち、ぼくたちひとりひとりの生産活動が芸術でなければならないということ、あるいは、もっとはっきり言えば、ぼくたちひとりひとりが例外なくみな芸術家でなければならないことを意味する。(「訳者あとがき」『芸術とマルチチュード』月曜社)
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《avanguardia di massa》とは、したがって、ぼくたちひとりひとりが文字通り芸術を生きるということを意味するのである。(「訳者あとがき」『芸術とマルチチュード』月曜社)
所以216
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アニメ絵って、大雑把でいいんだろうという、息を抜いた考え方が分かるスタッフには、憧れます。それは記号論理学というところに帰結しますから。(富野由悠季『映像の原則』キネマ旬報)
- 富野由悠季、するどい。
- するどい人は集団のなかにいると病む。
- 空間の同一性と映像の劇的変化
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物語にあった"連続する映像のなかに現れる視覚的変化の連続性"が観客におもしろさを感じさせ、それがまた物語のおもしろさを導くことになるのです。(富野由悠季『映像の原則』キネマ旬報)
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物語る過程(プロセス)=語り口を発揮したもの(スタイルの発見)(富野由悠季『映像の原則』キネマ旬報)
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正義の見方は左から入ってきて、右からきた悪漢をやっつけて、勝ったときに左に向いて右手に立ち、本当に強い人になる。(富野由悠季『映像の原則』キネマ旬報)
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右から来るものに対しては寛大です。右利きなら受けやすいということも原因しているでしょう。(富野由悠季『映像の原則』キネマ旬報)
- 農夫ikkaru
- 丸山零
- 怒らなかったら失礼なこともある。
- 読書欲は脳がここを鍛えて欲しいと訴えているので従えべし。
- 比較して自然な流れの方を「べし」と言うこと
- 「そんなんじゃダメだ」と言ってもムダ、相手が理解するのを待つ
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演出とは、文字で書かれたドラマをカット(映像の断片=ピース=ショット)の積み重ねで、感動的に表現することです。(富野由悠季『映像の原則』キネマ旬報)
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劇的な事件は、劇的なのです。特別なのです。特別であるから、表現して他人に見せる価値があるはずなのです。(富野由悠季『映像の原則』キネマ旬報)
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苦労しただろうな、と見えるものは、作品としての高みに至っていないのです。(富野由悠季『映像の原則』キネマ旬報)
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私たちがパフォーマーという「図」を見ていると、その後ろに広がる風景は「地」として機能し、反対に風景という「図」を見ていると、パフォーマーは「地」となる。すなわち、私たちは何かを見ないことで別の何かを見ることができる。パフォーマーがいるからこそ、私たちは風景を見ることができるのだ。(石川祥伍、静かな、しかし劇的な風を待つこと:『風景によせて2024 -かざまち-』によせて)
- ポエジー/野村喜和夫
- 語弊と詩幣
- 池上冬樹
- 今田ずんばあらず、浜松で僕は地元の香りを嗅いだ。#ポエデイ 前夜
所以215
- 見られる側の人間から見る側の人間へ
- 歴史修正主義と言語に正確な態度は似ているが異なるのか
- 巻爪の腫れている方の爪に馬油にまみれる脱脂綿を挿し込む。
- 爆音や乾きて剛き麦の禾/中島斌雄
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作者がこの「麦の禾」を「抵抗する民衆の意志」などと自注してしまったために、この句は観念を感覚化した社会性俳句として世に広まった。(爆音や乾きて剛(つよ)き麦の禾(のぎ) 中島斌雄 評者: 秋尾 敏)
- 麦の禾は戦後原初の民か。
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且多能非所以率人、故又言君子不必多能以暁之(論語朱子注)
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状況によっては孔子がガチガチに武力を鍛えて「子曰く、カタパルトを配備せよ」とか言い出すこともあります。(『シドマイヤーズ シヴィライゼーションVII』をプレイするとマジで夜が明けるのか?無知な人間が識者に雑な質問をぶつけまくった結果)
- 音分裂症schizo-phonia
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武満は、音は消えるものであると言う。音は、生まれては、消えていく。そして、ひとそれぞれの記憶のなかに甦る。(吉見俊哉『「声」の資本主義』河出文庫)
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音が消えていくからひとはそれを聴きだそうと努めるのであり、この甦りの行為こそ、音楽の根源に潜むものである。(吉見俊哉『「声」の資本主義』河出文庫)
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こうして音は消えるどころか、日々貯えられる膨大な量の音の堆積となっている。(吉見俊哉『「声」の資本主義』河出文庫)
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電話は当時、一対の関係を閉鎖的な回路のなかでつなぐ密室的なメディアというよりも、地域に散在する個人や集団をひとつの多肢的なコミュニケーション空間に接続し、混在させてしまう井戸端的なメディアだった。(吉見俊哉『「声」の資本主義』河出文庫)
- ↑19世紀後半?
- 警察・鉄道駅などの私設電話システム
- 1912年までに全体の87%に架設された大阪の警察専用電話
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無線想像力は、かけ離れたものの間にメタファリカルな関係を発見することによって言動の物質性に達し、文体を動物化、植物化、鉱物化、電化、液化する。(吉見俊哉『「声」の資本主義』河出文庫)
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ラジオは言語以前の雑音状態にある諸存在の振動を受信し、増幅し、変換する。(吉見俊哉『「声」の資本主義』河出文庫)
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もちろん、彼等は海軍や企業の活動を妨害しようとして空の電波を支配したわけではない。より広い世界に向けて新しい関係を求めていたのである。(吉見俊哉『「声」の資本主義』河出文庫)
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空中自由使用論とは一種の電波の公共建築論議(吉見俊哉『「声」の資本主義』河出文庫)
- 所干城
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この時代にこうした無線の世界に没頭できたのが、アメリカのなかでも中産階級の白人の男の子たちに限られていたことは忘れてはならない。労働者階級や黒人や移民の子ども、それに少女たちは、新たに出現したこのこの電波による共同世界からはすくなくとも初期には排除されていた。しかしそれでも、この時代のアメリカには、後年のマス・メディアたも、また単なる通信手段とも異なるあり方で、草の根的なラジオのネットワークが存在していたのである。(吉見俊哉『「声」の資本主義』河出文庫)
- ↑1910年代
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第一次世界大戦中、軍の無線局には、かつては対抗関係にあったアマチュア無線家たちがその技能を買われて大量に動員されていった。彼らは戦争を契機に高度化した軍事無線技術を修得し、戦後はふたたび民間に帰っていく。こうしたなかから、音声送信の技能と装置を備えたアマチュア無線局が全米各地に簇生するのである。(吉見俊哉『「声」の資本主義』河出文庫)
- 群衆・簇生
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長谷川は、かならずしも新聞がラジオによって淘汰されるとは考えていないが、ラジオを中央集権的な、大衆統制のメディアと見る点では室伏と同じ視点に立っている。(吉見俊哉『「声」の資本主義』河出文庫)
- ↑室伏高信「ラヂオ文明の原理」、長谷川如是閑
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ようするに、ラジオは権威を保証し、同調をとりつけていく道具などではなく、権威を破壊し、無数の干渉を生じさせていく道具であった。(吉見俊哉『「声」の資本主義』河出文庫)
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同様のラジオ観は、独のアヴァンギャルド的なラジオ芸術のなかにも、またブレヒトにも見いだすことができる。ラジオは、放送という分配のメディアから聴衆みずからがみずからの社会を組織していくコミュニケーション装置にならなければならない。(吉見俊哉『「声」の資本主義』河出文庫)
所以214
- 草木染めの色辞典
- 無賢与不肖とか女無美悪といった無という否定で全称を表現する語法
- andやetやkajなどの意味を持つ頻繁に使いそうな助詞に與というめっちゃ画数の多い字を使う漢文
- 全生活史健忘症
- ポエデイや詩丼のようなイベントを主催する人材が2〜3人浜松市に出てきて欲しい。全面的にサポートする。
- 「のような」は同じではないイベントという意
- オープンマイクなどフラットな企画があるといいね。
- 舞台や壇やゲストや出店者などのシステムは階層をつくりやすい。
- 文学フリマ浜松やplag!使用といった中央に隷属する地方のやり方ではつまらないので、その人独自の遣り口によるイベントがいい。
- 2018年1月開催の委託通販型の期間限定ブックカフェイベント「ここすと」は静岡県浜松市における文章系・創作文芸・文芸同人誌イベントの走りと言える。
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1月9日~1月21日まで、浜松市のアートサイドカフェ・ココモさんで開催の「ここすと」(新年のご挨拶)
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浜松市にあるギャラリーカフェ、「アートサイドカフェ・ココモ」さんにて1/9-21の予定で開催されるイベント「ここすと」に出展します。(「ここすと」出展します)
- 会期は1月28日まで延長、通販もしていたとのこと。(参照:オカワダアキナ)
- この手のイベントで委託・通販は作業量と責任の重い業務トップ2なのでそれを初回にやったのは偉業。
- ここすとの主催は鈴木さんという。浜松市で鈴木はほぼ匿名に近い。
- アートサイドカフェ・ココモ(元城町109-12、浜松城公園・ホテルコンコルド浜松近く)はすでに閉業、残念
- いま同所にはmeat & bar Tab.やはままつ美術研究所がある。
- 子どもの絵大好きだった 油彩画家・本紙学童作品選者 故鈴木貞夫さん(中日新聞)
- アートサイドカフェココモ

- ここすとには、オカワダアキナさんとうさうららさんの共著『架空便』、面屋サキチさんの海賊寓話、言葉の工房さんの写真詩集「君が思うよりもずっと」や「いん石くん」、濱澤更紗さんの既刊の小説(鉄道擬人化創作、遠鉄奥山線本と国鉄二俣線本)などが委託されていたという。
- なんだこのAI文体。
- 遠州率の参加者(敬称略)要崎紫月・葦原崇貴・鈴木文也・三谷銀屋
- 人文学の文化祭もいいね。教える側が教わる側になり、来場者が出店者になり、観衆がパフォーマーになり、闖入者が主催者になるような。
所以213
- ルイジ・ルッソロの雑音芸術未来派宣言、ノイズ
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認識のいやはてにして冬くれば女の素脚匂いを放つ 岡部桂一郎
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ガード下に息づくときもたえまなく人は桂一郎をまたぎてぞゆく 岡部桂一郎
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武器もたぬこの民衆の一人にて歩道の上の石をまたげり 岡部桂一郎
- 意味を示さない詩はそれゆえ総てを示す。
- 声を届けないとあなたが届く。
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北東角には牛丼のペコペコ亭、南東角にはマドリックス不動産(「渋谷スクランブル交差点」『谷脇クリタ断片集 日報』未確認電波帯)
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ごみを持ち帰るとか、人が活動する前には出発するとか、その程度の心掛けはしなくてはならない。(今田ずんばあらず『自転車で関東一周してみた。』ドジョウ街道宿場町)
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「旅は長くて十日間だ」最後に彼はそう言った。「俺も十日間の旅はしたことがあるが、それ以上は駄目だった。いいか、旅はもって十日だ。それ以上は難しい」(今田ずんばあらず『自転車で関東一周してみた。』ドジョウ街道宿場町)
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「でも、僕は走らなくちゃいけないんだ」(今田ずんばあらず『自転車で関東一周してみた。』ドジョウ街道宿場町)
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空気の波動に鼓膜が触れて感じ取る聴覚は、実のところは遠隔的な触覚である。(吉見俊哉『「声」の資本主義』河出文庫)
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人間と自然の関係は「農」を基本にするべきではないかという事です。(三原容子『農とアナキズム』アナキズム文献センター)
- アナキズムと名付けないことでのやりやすさ
- 農村青年社の意義↓
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運動方法が、国家単位ではなく一村・一地方単位で、「自主分散」といういかにもアナキズム的なやり方であったし、そのために東京の運動がとだえても他の地方で継続出来たということがありました。(三原容子『農とアナキズム』アナキズム文献センター)
- 農村は生産と生活を共にする場
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何が恐ろしいのだろうか 雲は/どうしてあんなに逃げているんだろう/確かに恐怖を覚えるほどの美しい青空だ(和合亮一「Spring」『LIFE』青土社)
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面白くない夜である/わたしが わたしを責めている/約束が違うのではないか と/少年や青年の頃のわたしが しきりに(和合亮一「Oil」『LIFE』青土社)
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ゆるし合う人々と 冷たい心のままの男女と/星を数える青年と 夜明けに祈る幼ない子どもと(和合亮一「Road」『LIFE』青土社)
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心のどこかで傘をさがそう(和合亮一「Somewhere『LIFE』青土社)
- ポエトリー・リーディングは楽器や音響装置など装備を固めてもできるけれど無課金でもできる。
- 無課金ポエトリー・リーディングはかっこいい。
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暮らすとは見果てぬ内側を持つことだ/無表情な壁に世界を区切られて/身体を脈の形に折りたたむ(何村俊秋「鉄塔譚」)
- 読書好きの人と詩作好きの人はいつか刺し合う運命にある。
- 出店者募集は不親切なほどいい。そこで調べる人か止まってしまう人か分かれる。
所以212
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一穀不升謂之嗛,二穀不升謂之饑,三穀不升謂之饉,四穀不升謂之廉,五穀不升謂之大侵(『穀梁伝』襄公二十四年)
- 凶作のレベルによる呼び方の違い
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人無幼長貴賤、天之臣也(墨子)
- 局がまともな配達をさせないなら、こちらがまともでいる必要はない。
- イベント主催者になってわかること、SNSの「◯◯という理由で□□(イベント名)行けない」は嫌い。
- DMでこっそり伝え給え
- 「絶対に行く!」とポストして行かないのはありがたい。
- ダンプポーチ、コーデュラ
- 公孫述(大成・成家)みたいに巴蜀とか南越とか辺境で独立した人が好き。
- 大成は金行の王朝、人口百余万
- 南中は雲南省あたり
- 楚の王族、荘蹻(楚荘王の末裔)が且蘭の夜郎部族を討伐したが、秦に黔中をとられたため退路を断たれ独立、牂柯国に。
- のぶすま書院
- 達王の国語教室
- 年齢の話題になって「女性に年齢を訊いてはいけない」というジンクスのため女性をのけ者にするのはよくない。
- 浜松市のポエデイ2で小野寺里穂『いきしにのまつきょうかいで』を買う。川柳
- 〈あなたの時制に巻き込まれたらしい/小野寺里穂〉仮定法過去
- 〈左右の歪みからわたしが湧き出る/小野寺里穂〉治ると何も湧き出ないわたし
- 〈バインミーを撫でる 夏風邪をひく/小野寺里穂〉これをテーマにHuế市で映画を撮りたい
- 〈まな板になりたかったMacbook/小野寺里穂〉ノートパソコンが偉いわけじゃない。
- 〈季節を描こうとすれば肘の色/小野寺里穂〉焦げ焦げ
- 〈防火水そう出身の棋士/小野寺里穂〉三間飛車
- 〈自分だけの森を縫いつけるみたいに/小野寺里穂〉ひそっと動く
所以211
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郵政グループは、不正が頻発する事態を把握していながら、有効な対策を打てず(あるいは打たず)、事実上、野放しにしているとしか思えない。(宮崎拓朗『ブラック郵便局』新潮社)
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こうした不自然な契約は、上司が承認しているうえ、委託元のかんぽ生命も把握していた。(宮崎拓朗『ブラック郵便局』新潮社)
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「下にだけ重い処分だ」そんな不満は、その後も現場に澱のようにたまっている。(宮崎拓朗『ブラック郵便局』新潮社)
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「彼を追い詰めたのは、上司たちによる陰湿なパワハラと、配達現場特有の時短圧力、そして事故を起こした人を必要以上にとがめる風土なんです」(宮崎拓朗『ブラック郵便局』新潮社)
- ↑まだ残っている時短圧力と人を必要以上に咎める風土
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組織の歪みを訴える声は、その後も途絶えることなく寄せられている。(宮崎拓朗『ブラック郵便局』新潮社)
- 食品CMは食品だけに焦点を当てたらその目的を果たせない。
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それ以上に社会のしくみに目を向けて、相互扶助の本能が自然に行動に発現され得るような社会の形に改める事を放棄してはならないだろう。そしてそんな社会を追求することが"アナキズム"なのではないだろうか。(三原容子『農とアナキズム』アナキズム文献センター)
- 純正無政府主義の理論家、八太舟三(1886〜1934)
- 宇根豊
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風景や自然環境はカネにならない、カネに換算することができないのである。(三原容子『農とアナキズム』アナキズム文献センター)
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つまり相互に巻き込まれてともに歩んでいくあり方によって、いつでもよびだせる(異議申し立てのできる)関係を維持し続けることが、私の調査倫理の果たし方である。(打越正行『ヤンキーと地元』ちくま文庫)
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蓋君子不患人心之不服而患吾身(孟子、離婁上「為政不難」朱子注)
- 自らの権内と権外とを分ける。
- 社会学のフィールドワークは自分がどう思ったのかをメモするように言われるが、詩歌の吟行は自分がどう思ったのかを極力排除する。
- 詩は文芸が文芸である核心であり、芸術が芸術である核心である。
- 言語の核心は詩歌、活動(展示)の核心は企画、詩歌と企画は言語と活動により誤配される。
所以210
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有為転変、諸行無常は現実だが、輪廻は実現だからね(森敦『新編意味の変容』ちくま学芸文庫)
- 生殖を旨とする生物である人類においてフェミニストが社会批評者の立場となるように、すべての芸術において核心でありながら非中心に立つ詩人は美術批評者となりうる。
- 疎外された核心者が全体への批評者となりうる。
- 浜松市の卸本町で行われるアリィの冬と夏alg winter och sommer、なぜスウェーデン語なのか、なぜ藻類なのか。
- ラテン語のalga(海草・藻類)→alg?
- Kanare_Abstract、アブストラクトゲーム
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京城中学は厳しい学校です。「三好野」で団子を食っているところを見つかって停学を食らった生徒もいたほどです。(森敦『新編意味の変容』ちくま学芸文庫)
- UO、松田優と谷雄一郎による元魚町のデザインスタジオ
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3年間に渡り場所を作ってきたけれど、本当は場所になるための種のようなモノをずっと蒔いていて、ようやく芽がでるかな?というところなのだろう。(DOCUMENTATION YER!YER!YER! )
- Bob-hohoボブホーホー(ウエダトモミとホシノマサハル)
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タカイセツコ 自転車に乗ったことがある人は、時が経っても、自転車に乗れるみたいな…こと書いてる人がいて。(「上から下に流れない水のようなものがある場所」)
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タカイセツコ 朝麻くんが、浜松という場所は流れていく場だって言ってたじゃない。モノが留まらずに、いろんなモノが流れていく場所だから、拘りが無いというか、みんなサッパリしている…(「上から下に流れない水のようなものがある場所」)
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ウシダユウヤ 私の自転車は水だよってことね。(「上から下に流れない水のようなものがある場所」)
- ユウヤ対デザイン、牛田裕也
- setsuko takai、高井節子
- デザインB
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フォーリー(foley)とは、映像に合わせて動作音を録音する効果音制作の手法です。(滝野ますみ「フォーリー」)
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異素材が組み合わせられたとき、新しく感覚の全体は安定を裏切っていたに違いない。(ホシノマサハル)
- 陰謀論が容易に根拠を獲得してしまうと、そもそも陰謀が陰謀ではなくなるので陰謀論はふたつの意味で陰謀論ではなくなる。
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未嘗不廃書而歎也(「孟子荀卿列伝」『史記』)
- ↑不はズンバアラズ
- 習い事は素読がいい。
所以209
- 日本の二世議員があまり優秀ではないとされているのは、実は日本が平等社会に近い証拠ではないのか?
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靡日不思(「詩経」)
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からだの中の地図のシステムは外国へ行っても使えるよ(山田亮太「two systems」『誕生祭』七月堂)
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文章を書きたかったわけではない。ただ印刷がしたかった。(山田亮太「光る手」『誕生祭』七月堂)
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捏造された伝統へと回帰し新たな規範を打ち立てようと企てる人々よ(山田亮太「ピーポー」『誕生祭』七月堂)
- 都市伝説解体センター
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毋友不如己者(「論語」)
- 徇曰、見せしめにして言った
- 産経俳壇2025年2月13日対馬康子選第一席〈空の色尽きて一月一日に/以太〉
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アカメの遺伝的多様性は低く、約3万年前から個体数が約1000個体前後と極めて少ないまま生存してきた(アカメ)
- 作中主体の主体はカメラのレンズ
- 人間はそもそも主体たりえないレンズでしかない。
- ソクラテスの煙草
- 内部+境界+外部=全体概念
- 内部には境界が属さないので、内部=全体概念
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主観と客観を一致させて、空を悟ることさ(森敦『新編意味の変容』ちくま学芸文庫)
- 悩む人には知性がない。
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神もまた矛盾として実存する。境界が矛盾を孕むということは、原点が矛盾を孕むということだ。(森敦『新編意味の変容』ちくま学芸文庫)
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望遠鏡は内部に外部を実現する。(森敦『新編意味の変容』ちくま学芸文庫)
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時間もまた近傍と域外に分かたれる(森敦『新編意味の変容』ちくま学芸文庫)
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この私と私以外といえば前世界であるように、このコップとコップ以外といえば全世界になるんだ。書こうとすると書かせまいとするコップのために、幻術が必要になって来るのさ。(森敦『新編意味の変容』ちくま学芸文庫)
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矛盾は矛盾でなくなろうとする方向を持つ。(森敦『新編意味の変容』ちくま学芸文庫)
所以208
- 出雲弁「だんだん、だんだん」ありがとう
- 植田正治の「砂丘ヌード」
- 気づかれるかどうかはあまり重要ではなく、やって記録を残すことが重要
- 詩人や歌人や俳人や柳人などと言われているけれど実際はメモ魔に過ぎない。瞬間のメモ魔だ。
- 森山大道の擦過という感覚
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こんなふうに消えるといいよと/光に溶けてゆくだろう(大崎清夏「あとに残らないものを作る」『暗闇に手をひらく』リトルモア)
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茶沢通りをまっすぐ照らす二列の街灯は/どこか遠い 鄙びた温泉街に/続いているように見える(大崎清夏「風の匂いを四人で嗅ぐ」『暗闇に手をひらく』リトルモア)
- わかる、茶沢通りにはそういう忘れ去られた昭和のまちへ続いていきそうな気配がある。
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もちろん知っていました/言葉に所有格を付ける行為の/稚拙さも 恥ずかしさも(大崎清夏「青い鳥たち」『暗闇に手をひらく』リトルモア)
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羽根を広げた川鵜が 黒い彫刻になって/やわらかな流れのうえに 留まっている(大崎清夏「癒える」『暗闇に手をひらく』リトルモア)
- 東京や大阪や京都が文化的にすごいのは有名人が多いからではなくて、文化に関わる無名の群衆たちの層が厚いから。
- 有名人が文化をつくっているように演出されているだけで、実際は群衆の層の厚みが醸している。
- 群衆たちが文化的に期待されない都市は文化レベルが低い。
- モノ・ホーミー、図案家
- 南方書局Nan Fang Shu-chu、富澤大輔
- 名の有る人ばかりに頼って無名の群衆に期待しない都市はその文化の豊かさを使いこなせない。
- 浜松市でいえばイベントで「さっきから鈴木さん、鈴木さん、鈴木さん。鈴木さんとは誰なのだ?」という状況をつくることで文化レベルを上げることができる。
- ぼてぼて茶、民藝運動、スピノザの群衆
- 本と温泉
- multitudo non ratione ducitur sed impetu.
- Miroslav Tichý、自作カメラ・写真・盗撮
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忘れ去られていた桶茶が,また民芸のブームに珍しさも加わって,昭和のはじめ頃から盛んになった柳宗悦提唱の民芸運動とともに出雲名物としてよみがえり,ぼてぼて茶と名付けられて,遊び心で楽しむ現在である.(泉敬子・後藤美典「地方茶「ぼてぼて茶」「寒茶」について」)
- 宮崎拓朗『ブラック郵便局』新潮社
所以207
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桓楚亡、人莫知其処(「項羽本紀」『史記』)
- よーし、がんばれるようにがんばるよ だんだんと高くお茶を注いだ/初谷むい(「sui-i」)
- 秋と冬と春の川 夏の川 いまから三秒でわたしの泣き方を覚えてほしい/初谷むい(「sui-i」)
- 基準点成果等閲覧サービス
- SNSのプロフィールには予定を書け。
- SNSのポストにはやったことを書け。
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「亡能為」「亡罪」はwú、「亡其二十城」はwáng(西田太一郎『漢文の語法』角川ソフィア文庫)
- 産経俳壇2025年2月6日宮坂静生選〈喉奥に寒夕焼といふ猛り/四條たんし〉湖西市
- 鉄道弘済会売店(キヨスク)
- 戦争に視聴率ありソーダ水/川崎果蓮
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Eğer bir dış etken sizi üzerse, duyduğunuz acı o şeyin kendisinden değil, sizin ona verdiğiniz değerden geliyordur, onu da her an ortadan kaldırma gücünüz vardır./Marcus Aurelius
- 三宅香帆の隆盛とモリソン書庫など観るためのうつくしい本屋・図書館建築の流行との相関関係、ファッションとしての文化。
- そういったものと闘っていかなければならない。闘いつづけていかなければならない。
- 時報出版思潮線
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「なにもかも政治的ですよ、我らが共和国では」(佐藤大輔『平壌クーデター作戦』徳間書店)
- 인민군차수 (人民軍次帥)
- 方虎山と白善燁
- HUMANKIND、歴史をテーマにしたストラテジーゲーム
- 車内広告に詩歌、鉄詩丼
- 夜に早く寝すぎて深夜に中途覚醒してしまう分割睡眠、その第一睡眠を昼にもってきたのが昼寝説
- 民芸品の性質、民衆的なもの、実用的なもの、数多く作られるもの、安価を旨とするもの、健康なもの、簡素なもの、協力的なもの、伝統に立つもの
- 出雲斐伊川和紙
- 己の外へ目を向けることに金を払わせるか、己の内へ目を向けることに金を払わせるか
所以206
- 盤桓、ぐずぐずする
- 納税思想はリベラル
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データを分析した結果、かつてローマ帝国の一部だった地域とそうでない地域の間で、性格特性と幸福度などに大きな違いがあることがわかりました。旧ローマ帝国領に住む人々は、そうでない人々と比較して外向性と協調性で高いスコアを得た一方、神経症的傾向はスコアが低く、全体的な心理的幸福感が高かったと報告されています。(約2000年前のローマ帝国による支配が現代人の幸福や性格に影響を及ぼしていることが判明)
- アイヌ民族や琉球民族の存在と独立を訴え日本国の「世界帝国」性を立証しようとするのは八紘一宇に他ならない。
- 日本の「世界帝国」性を排除するための「単一民族」説。
- 移民を排除するトランプ大統領は世界帝国をあきらめ国民国家を作ろうとしている。
- 豊臣政権下から島津家は海外遠征し、江戸幕府では海外領土を獲得し、島津家家臣たちは日本の大陸進出を指導した。
- 中日俳壇2025年2月2日高柳克弘選第一席〈廃屋へ年賀はがきをねじこめり/以太〉
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白紙の裏にうつすらと哀しみわく午後(吉岡実「桐の花」『吉岡実全詩集』筑摩書房)
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牛乳の空罎の中に/睡眠してゐる光線と四月の音響(吉岡実「昏睡季節2」『吉岡実全詩集』筑摩書房)
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指揮者の手に/遅刻した春の山脈つらなり(吉岡実「朝餐」『吉岡実全詩集』筑摩書房)
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春の葉脈に神々が膨張している(吉岡実「溶ける花」『吉岡実全詩集』筑摩書房)
- 吉岡実の遅刻と莨
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眼球は月と共に溶解し/鏡に微熱がある(吉岡実「微熱ある夕に」『吉岡実全詩集』筑摩書房)
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女たちの腋毛は甘い先験の夏を輝かせ/肥満家族は跳ねまわる(吉岡実「夏」『吉岡実全詩集』筑摩書房)
- 自己啓発本で発見をするひとたちのための詩は書かない。
- 頭の良い人を客層にするな。
- いつか思い上がったその客たちに全て奪われ追放される。特に散文・韻文ジャンルは。
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不學詩、無以言(『論語』)
- この「詩」は詩のデータベース、体系を知識として得るということ。
- 他ジャンルの想像力を信じる。
- われらみな窃視犯の末裔ぞ。
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ぼくは総合体として健康な男の一人になる(吉岡実「下痢」『吉岡実全詩集』筑摩書房)
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しばらくわたしは別れていよう/他の人にとっても彼女は必要だから(吉岡実「巫女」『吉岡実全詩集』筑摩書房)
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半病人の少女の支那服のすそから/かがやき現れる血の石(吉岡実「珈琲」『吉岡実全詩集』筑摩書房)
- Where`s sibitt?、志人
- formspree
所以205
- ミスは人ではなく環境が主因だ。
- しかしミスの責任は人が負うことになっている。
- 責任の話は主因の話ではない。
- 環境をつくった人ではなく当事者とされた人がミスの責任を負うことになっている。
- セクシャルハラスメントなどハラスメントはそれを訴える側が、相手を、自分の方法でコミュニケーションするに値しない人物と見下す時に発生する。
- セクシャルハラスメントの発生より相手を見下す方が時系列としては先となる。
- あくまでも自分の方法であって相手の方法は考慮されない。
- 配達区の平準化にともなう配達時間の非平準化
- ICE BAHN「越冬」
- あなたが死ねば京都は消えるあなたは海の涸れて最後にひかる一片/藪内亮輔(『心臓の風化』書肆侃侃房)単位の変異
- 冬雨は靴を濡らしき みづからの骨ほどの本抱へてゆけば/藪内亮輔(『心臓の風化』書肆侃侃房)本の重さの譬喩としての骨格
- うすあをく夕べまたたく窓際に偽善から非善に傾きつつあり/藪内亮輔(『心臓の風化』書肆侃侃房)なにがあったか、窓越しになにを見てしまったか。
- 詩は花束ではなく舌禍、夕に生る腐つた柿のうつくしい蔕/藪内亮輔(『心臓の風化』書肆侃侃房)その思いでこれからも綴りたい。
- 痛覚の桜さざめき 暗澹とただ暗澹と夜をたたんだ/藪内亮輔(『心臓の風化』書肆侃侃房)つらい夜を経て朝になる。
- 涙まで届かず消えたものたちをそれでも涙と呼ぶか 春楡/藪内亮輔(『心臓の風化』書肆侃侃房)飲まれた涙たち、春楡という辛抱
- 蕊と蕊そのそこ知れぬ暗い塔触れ合はずそれがゆゑ愛し合ふ/藪内亮輔(『心臓の風化』書肆侃侃房)逆説の愛
- アメノオトが濡れてゐた それから幾程もない時間のなかを/藪内亮輔(『心臓の風化』書肆侃侃房)誤差めいた立ち眩み
- 沁み込んだ――滴が。甃に。手のひらに。――血液といふ出口なき川/藪内亮輔(『心臓の風化』書肆侃侃房)甃は「いし」とルビ、「出口なき川」という秀句表現
- 冬の陽のそのつたなさがこの指にふれてゐた もうどこにもゐない/藪内亮輔(『心臓の風化』書肆侃侃房)陽光のつたなさ、その措辞に見るこころの余白。
- マルボロをふかせる君に肺といふ逆さの桜いま咲きほこる/藪内亮輔(『心臓の風化』書肆侃侃房)肺が逆さの樹とは愉快。
- ほろびる、のほろ、には魚を焚いたときあの上手くいつた感触、だよね/藪内亮輔(『心臓の風化』書肆侃侃房)「焚く」の意外性
- iPhoneを落として映る壁紙が床に真冬の海をひらいた/藪内亮輔(『心臓の風化』書肆侃侃房)情景はありきたりだが「ひらいた」が秀逸
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瀬加には同じく応神天皇が、星が出るころまで狩を続けた、という伝承から「星肆山」と名づけられたという謂れも記されています。(市川町観光協会「播磨国風土記」)
- 千社札とグラフィティGraffitiと
- 黒いひとがくるから葬式 さういへば釈迦とフェミニスト仲良くできる?/藪内亮輔(『心臓の風化』書肆侃侃房)自らのこころの火を消そうとする釈教と自らのこころの火を延焼させる教義と。
- 吾を責める言葉に縫ひ目ありしこと一針ごとに光のほそき/藪内亮輔(『心臓の風化』書肆侃侃房)吾を責める言葉にも筋を見出す。どんなに細い筋であったとしても。
- その遺書は檸檬のやうに光つてたいいよ死んでもあなたはあなただ/藪内亮輔(『心臓の風化』書肆侃侃房)爆発物のような遺書を思う。
- 暗室のあなたはいつも残像でとどかない黒鍵を思いだす/織原禾(「EQ」)視覚の限界と指のながさの限界との共鳴
- 夜の川を水は流れて 淡い影 濃い影 ずっと水は流れて/福田六個(「夜濯ぎの夜」)川を水が流れる確認
- 新幹線のトイレを流す轟音をまだ音姫は怖がっている。/小西善仁(「ピンポンダッシュ」)あからさまという才能
- 作品はやっちゃいけない、品ではないと。














