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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

谷川由里子『サワーマッシュ』左右社

静岡県浜松市にも蔓延防止等措置が適用された。〈日当たりのいい公園のブランコは夜になってもギラギラしている/谷川由里子〉余熱のようにして、昼がそこだけ続いているかのように。〈ルビーの耳飾り 空気が見に来てくれて 時々ルビーと空気が動く/谷川由里子〉他人に見せる耳飾りではない。〈からだをもっていることが特別なんじゃないかって、風と、風のなかを歩く/谷川由里子〉読点のぶつ切りが風から息を取り戻したかのよう。〈少しずつ透明になるはつなつの学芸会で虹を演じた/谷川由里子〉「少しずつ透明になる」がかかっているのは虹、だ。〈連絡網を好きだったのは雲のような吹き出しでつながっていたから/谷川由里子〉漫画のような連絡網。〈心臓を心臓めがけ投げ込むとぴったり抱きしめられる雪の日/谷川由里子〉心臓の延長としての肉体と肉体とが重なる、雪のなか。〈珈琲が体の一部になったのでこぼさず歩くことができます/谷川由里子〉たぷたぷ音がする。

 

 

中日歌壇朝日歌壇2021年8月8日

中日歌壇

中日春秋より小田急線刺傷事件について、〈漫画本閉ぢし青年しばしして取り出せしは経済書なり/大坪久米子〉。島田修三選第一席〈何かしら妙な矜持が剥れ落ちカップ焼きソバひとつ買い来る/梶村京子〉時には楽をしてもいい。第二席〈姑が大変だろうと言いながら息子の嫁を気遣う夫/森田ちえ子〉おいおいとツッコミたくなるのかも。〈なめらかに弧を描きつつ後ずさる車庫入れも人裏切る時も/前川泰信〉弧を描くとは少し入れにくい車庫なのかな。人を裏切る時も早く姿をくらますには弧を描いた方がいい。小島ゆかり選第一席〈青空の雲ひとひらに安堵する夏空深き底しれぬ青/野村まさこ〉夏空の青は不可解、生命を含んでいるようで、死滅しているかもしれぬ。〈一浪で大学生になった孫彼女もできたらしくてほっとす/赤沢進〉一浪したからといって人の道を外れたわけじゃない。〈コロナ禍と五輪渦巻く東京からテナーで響く曾孫の産声/北原一枝〉どのような世界を生きるのか。

朝日歌壇

高野公彦選〈亜熱帯と化した日本でトマト入りキーマカレーを作る週末/塩田直也〉トマトもカレーももとは海外の食だ。永田和宏選〈もしも吾が胡瓜に生まれ変わったら思う存分曲がってみたい/蜂巣厚子〉うふふと曲がる。馬場あき子選〈人通り減りて売り上げ激減すも「ビッグイシュー」の販売に立つ/成田強〉ホームレス歌人だろうか。佐佐木幸綱選〈いいひとだったとみながいう春馬さん地獄のような今生に居て/山崎陽子〉あれから私達は何か変われただろうか。

江戸雪『椿夜』砂子屋書房

磐田市中央図書館で借りた『椿夜』を読む。〈思い出す旅人算のたびびとは足まっすぐな男の子たち/江戸雪〉確かに算数の文章題に女の子はあまり出てこない。〈水平な音のながれる冷蔵庫君はわたしを忘れつづける/江戸雪〉冷蔵庫の「水平な音」とは何なのか? 音なき音なのか? 冷蔵庫のなかは見えず、水があることさえ忘れることができる。そのように忘れられる。〈このわれを女と呼ぶな真夜中にくろぐろと胸つきだきている/江戸雪〉「くろぐろ」の冷えた物質感。〈身体はただいれものにされてゆく蛾がふれてゆく脹脛かな/江戸雪〉蛾は虫の我である。〈Jくんの郵便箱に鳥ねむりぬるぬるともりあがる暗天/江戸雪〉郵便受箱は何か黒いものの増幅器かもしれぬ。〈円卓にひた置く銀の水筒のわれらを細くうつしていたり/江戸雪〉そこだけが家族の幸せであるかのように。

中日歌壇朝日歌壇2021年8月1日

労組機関紙俳句欄で〈初夏や開け放たれる鳩舎の戸/以太〉が最優秀だった次の日は新聞歌壇デーの日曜日。

中日歌壇

島田修三選第二席〈染みのある「萬葉秀歌」めくりをれば都電の切符はさまれてゐる/梅村和生〉若き日、東京時代の愛読書か、旅をしてきた中古本か。〈香月の赤い屍体は永遠に我等に語る戦争の愚を/滝上裕幸〉香月は画家の香月泰男立花隆への鎮魂歌でもある。小島ゆかり選第三席〈封筒に「退」「職」「届」をきっぱりと一気に書き上げ紙の白さよ/天野和江〉白は潔さ。〈葉桜の濃ゆき下陰昭和より続く自動車図書館停まる/棚橋義弘〉「昭和」から走り続けたかのような。

朝日歌壇

佐佐木幸綱選〈信号機つく交差点を出水に泳いで渡るへら鮒の群れ/小山年男〉へら鮒は信号機の色の意味を知っているわけではないのに。高野公彦選〈頼朝と政子の恋の逸話ある逢初川を土石奔れり/瀬戸敬司〉熱海の土石流。永田和宏選〈君の角「恋矢」といふや蝸牛私にもそれがあればいいのに/市森晴絵〉その恋矢、相手の寿命を縮めるらしい。馬場あき子選〈弘徽殿派 私の他にいると知り古文なつかし日曜の朝/三村直子〉朝日歌壇上でのやりとり。

伊藤一彦『微笑の空』角川書店

磐田市中央図書館で借りた『微笑の空』を読む。〈いつよりか男もすなるごみ出しをわれも励めり当然として/伊藤一彦〉新時代を生きるために必要なこと。〈兵役を経ずに六十代になりたりとゴミの袋を出しつつ思ふ/伊藤一彦〉も。〈鉛筆の尖りて赤し 憎しみに武器とならざるものなき教室/伊藤一彦〉憎しみさえ抱けば全てを武器とすることができる。〈「一斉」をきらへるゆゑに給食も授業も拒み家にゐる少女/伊藤一彦〉かつて「みんな」に苦しめられてきたのだ。〈あまりにも「いい子」の君は手首切る過剰期待はすでに虐待/伊藤一彦〉脚韻はすでに語と語に意味的なつながりを表す。さらにその上に構文でのつながりがある。〈よき長男よき委員長のこと生徒よく磨かれし嵌め殺し窓/伊藤一彦〉「嵌め殺し窓」の語の強さとそれまでの柔らかさとの落差。〈沿道に立ちて媼の売りをれば婆篦アイスと地の人言へり/伊藤一彦〉高知のアイスクリンと秋田のババヘラアイス。

中日歌壇朝日歌壇2021年7月25日

中日歌壇

島田修三選第一席〈フォークダンス君まで廻るかそれだけが気掛かりだった遠き日のあり/藤井恵子〉隣を見ながらマイム・マイムを踊る。〈簡易局の入口の上に燕の巣笑みもて見上げ帰る客らは/吉田恵子〉糞が落ちてくるかもしれないから見上げる。小島ゆかり選第二席〈くじ運の悪き我ゆえアナフィラキシー当たらぬものと信じつつ打つ/磯貝雅人〉当たりはどちらか。〈身重ながら町の会計担ひし人初夏の美化の日ベビー連れくる/中條にむ子〉美化の日とは何だろう。

朝日歌壇

馬場あき子選〈「美しき戦いの終わり」とう文字が雨に濡れてる蘋果日報/今西富幸〉蘋果にりんごとルビ。ことばが消える。〈ガラス戸に「いらっしゃいませ」の文字残り閉店ながき村の理髪屋/内海恒子〉白の文字だろうか。だんだん風化して消えていく。佐佐木幸綱選〈マリトッツォ一つで緩む頬持てば行列厭わぬ夏至の日の午後/瀬口美子〉これぞマリトッツォ短歌である。高野公彦選〈好奇心・未読乱読・在野主義 立花隆氏が貫きしもの/今西富幸〉立花隆耳をすませばの雫のお父さんの声という印象が強い。永田和宏選〈河童忌はありて河童はあらざるに夏の部もつとも厚き歳時記/庭野治男〉芥川龍之介の河童をもう一度読んでみよう。

小林理央『20÷3』角川文化振興財団

五歳から十五歳までの歌とのこと。〈道ばたのポストの口は今までに何回手紙を迎え入れたの/小林理央〉「おまえは今まで食べたパンの数を覚えているのか」とポストに言われそう。〈人間が生まれて初めて見る空とさいごに見る空おんなじ青かな/小林理央〉そのうち「青」ではないと知る。なぜなら〈雪の色何色かって聞かれたら白と答えない人になりたい/小林理央〉だから。〈夕立に濡れてみたいというよりは私が夕立になって降りたい/小林理央〉大人になった。

奥田亡羊『亡羊』短歌研究社

磐田市中央図書館で借りた『亡羊』を読む。〈宛先も差出人もわからない叫びをひとつ預かっている/奥田亡羊〉そして、ときどき誤配したりする。〈のどかなる一日を死者よりたまわりて商店街のはずれまで行く/奥田亡羊〉慶弔休暇だろう。悼むべきだが少し心は浮つく。〈つり革に腕を1000本ぶらさげて明日の平和を祈願している/奥田亡羊〉満員電車という日常こそが平和へ連なる。〈宵宮の金魚すくいの店の上に大きなる赤い金魚ともりぬ/奥田亡羊〉こういうオドロオドロとした装置が日本の昔からの祭そのもののようだ。〈何もない部屋の日暮れに点してはガスの炎を楽しんでいる/奥田亡羊〉青い火は暖炉のように。〈辞令書の四隅の余白広々とさあどこへでも行けというのだ/奥田亡羊〉辞令書の余白の広さは自由のようだが、あくまでもそれは辞令書なのだ。〈明日もまた何もするなと言うような私自身の夕暮れである/奥田亡羊〉そんな夕暮れの空の色であるというのだ、無力感。〈いいと言うのに駅のホームに立っていて俺を見送る俺とその妻/奥田亡羊〉俺?

中日歌壇朝日歌壇2021年7月18日

中日歌壇

島田修三選第二席〈片足を上げては水を払ひつつ浅瀬をゆっくり歩く青鷺/山本栄子〉水田などで獲物を狙う青鷺の足取り。小島ゆかり選第三席〈自宅にてコロナワクチン接種受く奥三河ここ無医地区なれば/大野富士夫〉愛知・東栄とのこと。無事を祈る。〈贈られし京都の氷菓日に透けて抹茶の深きみどりこそ夏/高橋尚子〉京都の氷菓というのが涼しげだ。

朝日歌壇

永田和宏選〈躓きはやはり「モル」らし子も孫もげに厄介なアボガドロ数/宇和上正〉未だにモルが何のことかわからない。〈遅刻して尚且つ辿り着けぬ夢見て夏至の本棚にカフカ/森谷弘志〉『城』ですね。馬場あき子選〈プラ芥に慄へたりとぞ憧れて海女となりしひと潜き始めて/巻桔梗〉芥はごみとルビ、ぶるぶるっとする感覚がある。佐佐木幸綱選〈二人とも介護の職に就く夫婦二台の車揃ふことなし/朝岡剛〉昼夜を問わない共働きの時代。高野公彦選〈父の日に食べごろとなるメロン二個送りし娘ら当日に来る/小島敦〉持ってくればいいのに。

ヨハネス・スコトゥス・エリウゲナの自然区分論について

十七世紀オランダの哲学者スピノザはその主著『エチカ』にて、スコラ学派が使った能産的自然natura naturans・所産的自然natura naturataという用語に汎神論的定義を与えた。スピノザ以前では九世紀のアイルランド出身で西フランク王国で活動したヨハネス・スコトゥス・エリウゲナが汎神論につながる思想を示した。

エリウゲナの著書『ペリフュセオン Periphyseon』では万物は「存在するものと存在しないもの」に分割され、その両者を包括して自然naturaと呼んでいる。この自然は四つの種に区分される。①創造し創造されないものcreat et non creatur、すなわちすべてのものの原因である神。②創造され創造するものcreatur et creat、神の知性のうちにあるいっさいの原型つまりプラトンイデア。③創造され創造しないものcreatur et non creat、被造物の世界。④創造せず創造されないものnec creat nec creatur、再び神。 自然の名の下に万物を神の創造による変状と捉える思弁的体系は汎神論と言える。

さらにエリウゲナは非存在としての神に言及する。④は万物が発出された根拠物へ還帰する神化であり、終わりにしてはじまりである。アウグスティヌスの場所と時間論を発展させたエリウゲナは世界の終わりにおいて場所と時間とは発出根拠である神へ還帰すると考えた。④についてはエリウゲナ自身が「それが存在することがありえない不可能なことがらに属している」と書いてある。エリウゲナは神が存在するとも述べるけれど、あくまでもそれは類比の表現であり、彼はその卓越性のゆえに神を、存在を超えた非存在、無nihilとみなした。エリウゲナの「非存在の神」は無から世界を創造し、やがて無へ還帰する。

1225年に教皇ホノリウス三世はエリウゲナの『ペリフュセオン』に異端宣告を下し焚書を命じる。論理学によって導かれたエリウゲナの「非存在の神」は確かに無神論の匂いがする。つまり、神の卓越性を論理学により言表するならば無神論は避けて通れないことをエリウゲナは示した。

のちにドゥンス・スコトゥスが論理学の異なる手法により無神論に陥らない神の卓越性を示す。

参考文献

中日歌壇朝日歌壇2021年7月11日

中日歌壇

島田修三選第二席〈補聴器を初めて付けて食べる時キャベツ噛む音すさまじきかな/松岡準侑〉骨伝導音も補聴器では大きく聴こえるのか、知らなかった。〈「アカシアは萌え」で始まる女子校歌口ぱくだった音痴の私/後藤幸子〉先生から口パク指示が出ていたり。〈ひ孫まで生まれんと言うその昔琵琶湖に消えし十五の友よ/宮尾美明〉琵琶湖で何があったのか気になる。小島ゆかり選第三席〈キッチンとも厨とも違う台所にあお豆ご飯の匂い立ちおり/竹内美穂〉「キッチンとも厨とも違う」が面白い。たぶん昭和風のペコペコの金属板とか花柄とか。〈びっしりと実を寄せ合っている葡萄よかったなぁ人間ではなくて/梅村和生〉人は密を恐れるようになった。

朝日歌壇

「さん」「氏」付けは大事である。高野公彦選〈服重ね寒さに耐えた周庭さん沈黙の語る自由の重さ/人見江一〉やはり沈黙に注目。「さん」付けは偉い。〈「愛」には有り「名曲」には無き賞味期限 昭和歌謡を台所で歌う/江口康子〉うまい。永田和宏選一首目〈沈黙が全てを語つてゐるやうなフラッシュ浴びる周庭氏の貌/桑内繭〉周庭氏にアグネスとルビ、やはり沈黙に。「氏」を付けて偉い。〈風音のしずかにつづく夜零時カーテン寄せれば眉月の見ゆ/児嶋きよみ〉梅雨の荒天続きのなか、ホッとする夜。馬場あき子選第三首〈痛風で腫れ痛む足白衣着た研修生等が触りてゆきぬ/梶正明〉もはや見世物、痛いのに。〈苦しそうな声上げながらたくさんの隠し事飲み込むシュレッダー/山田真人〉昨日私も隠し事をシュレッダーにかけた。〈一死二死憤死に死球おもしろくやがて悲しき野球の用語/武藤恒雄〉佐佐木幸綱選〈香港の周庭さんの沈黙に語らぬことの重さ推し量る/三ツ木稚子〉やはり沈黙に。そして「さん」付け。〈「南国風容姿の方歓迎」と夏ならではのバイトの募集/上田結香〉タピオカドリンク屋さんかな。沖縄奄美の人有利。

石川美南『砂の降る教室』書肆侃侃房

折込チラシと段ボールで七夕飾りを作った日、『砂の降る教室』を読む。〈親知らずの治療控へてゐるごとき夕立雲を見上げをるなり/石川美南〉不安と郷愁と逃亡癖とが積み重なったような夕立雲だろう。〈半分は砂に埋れてゐる部屋よ教授の指の化石を拾ふ/石川美南〉この古い校舎が実在しなくても構わないと思えてくる、地点の記録。〈満員の山手線に揺られつつ次の偽名を考へてをり/石川美南〉駅ごとに名前と人生がある。〈海底の匂ひをつけて帰る人 開けつぱなしのピアノのやうに/石川美南〉そうかピアノの内側のあの匂いは海底の匂いだったのか、音もまた海底の音。〈虫籠を二時間かけて選びたり森の暗闇ども覚悟せよ/石川美南〉風の谷のナウシカの逆、近代科学的な思考としての「覚悟せよ」。〈カーテンのレースは冷えて弟がはぷすぶるく、とくしやみする秋/石川美南〉高貴と見せかけて学校生活という卑俗に裏打ちされている。〈グランドピアノの下に隠れし思ひ出を持つ者は目の光でわかる/石川美南〉自作の「海底の匂ひ」からの連想だろう。〈ブラインドに藤棚映り書評でしか知らない本のやうな明るさ/石川美南〉本物を知らないほうがよいこともある。

 

 

榊原紘『悪友』書肆侃侃房

※ 二読目です。(一読目)でも諸事情により書き終えらなかったので、途中まで載せます。

 観念への憧れがある。実際の名は実体を表さないし、表された実体も歪で観念には至らない。

五千年後の語彙を想像してみてよ ティースプーンでスコーンを割る 榊原紘

 なぜ「ティースプーン」で「スコーン」というティーではない、おそらく硬い食品を割ったのかを榊原は問う。ティースプーンは五千年後にはスコーンスプーンという名に変わっているかもしれない。新商品の開発にも利用されうるような、ことばへの基礎的な問いに満ちた歌集、榊原紘『悪友』書肆侃侃房を読む。

店名の由来はスペルミスらしい指先だけをおしぼりで拭く 榊原紘

 実際の店舗かどうかはどうでもいい。焦点は「スペルミス」にある。スペルミスで決められた店名が店名としては正しいスペルでグーグルマップや駅前の地図やホットペッパー食べログに載っていることを読み手に想像させる。その指先はスペルミスらしい「店名」に触れて経路を検索したのかもしれない。正しさへの疑念を拭うようにおしぼりで指先を拭く。今まで正しいと信じてきたことばが、実は誤記であったかもしれないと読み手に反省させる。

文字化けのむこうにあった文字のよう振り向く前のあなたの貌も 榊原紘

 文字化けと文字の関係はスペルミスの店名と正しいスペルの関係と似ている。下の句の振り向く前のあなたの貌は文字の方だから、実際振り向いて見たあなたの貌は文字化けでスペルミスということになる。

指にあるときに指輪は線であり、由来にまつわる話がしたい 榊原紘

 ティースプーンとスコーンへの疑問と同じつくりをしている。確かに指輪は指線とも言うべきで、輪ではなく曲線として見える。指のせいで決して輪には見えない。指輪と名付けられたとき、それは指に嵌められていなかった。つまり指輪は指の輪ではなく指への輪だったかもしれない。

 ことばへの疑念は社会をつくる仕組みへの疑念である。このような疑念は社会へ怒りや不安を持つ者が抱くことが多い。

半袖は実際三分袖だよね 次暮らす街ってどんなとこ 榊原紘

 五分袖に満たない物を半袖と呼ばなくてはならないのである。日常に知性と論理は屈する。

機嫌なら自分でとれる 地下鉄のさらに地下へと乗り換えをする 榊原紘

 「地下鉄」は地下を通る鉄道で、「さらに地下へと」と榊原は付け加える。地下のさらに地下はそれでも地下でしかないのだが、そこを通る鉄道に新しい名前をつけられそうな気もする、地下地下鉄とか。

 「機嫌なら自分でとれる」は感情のかたちへの推察である。感情とひとくくりに呼んでしまっていたものにストア派のように名前をつけて分類し自分でコントロールしようとする。たとえば衝動と同意のように。名前をつけることで感情というものの原因と結果を分類し、把握する。

ことばから補助輪が外されてなお漕ぎ出した日のことを言うから 榊原紘

 子供のときはことばは与えられるもので、社会から与えられた意味を補助輪のようにして生きていけた。しかし自分でことばに意味を与え、名前をつける能力が身についたとき補助輪は外される。「なお漕ぎ出した」人はどんな意味をことばに与えるだろう。

舌という湿原を越えやってくるやさしくなりきれない相槌よ 榊原紘

 舌と湿原が強い比喩の関係になるためには舌蕾の形状だけではなく、舌→ことば→失言→シツゲン→湿原という連なりが必要だ。

ゴミの日がかわりますって回覧をまわすくらしに飛び地はなくて 榊原紘

マーガリンなしでジャムだけ塗る朝に飛び級みたいにこいびとになる 榊原紘

 「飛び地」「飛び級」は同じような使い方をされている。町内会の回覧を回す日常とパンにマーガリンを塗ってからジャムを塗る日常、前者はないもの、後者はそうしてみたことの喩えとして表される。

 

悪友

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朝日歌壇2021年7月4日

今朝の中日歌壇は大雨による熱海の土石流災害報道のためお休み、11日に掲載されるとのこと。

朝日歌壇

佐佐木幸綱選第一首〈神職の注視の先をかろやかに田植機がゆく御田植神事/北野みや子〉機械もまた人事。高野公彦選〈田の跡の白き家並み吹きぬける風は蛙の歌を知らない/畠山水月〉水田跡の団地だろう。蛙は目高は田螺はどこへ行ったのか。〈流れ星の気分になってこいでゆくあたらしい自転車は夜空色/山添葵〉「夜空色」がいい。永田和宏選三首目〈東京へ来ないでよりも東京に来ないでの方が少し険ある/四方護〉格助詞の違い、「東京方面へ来ないで」より「東京を目的地に来ないで」の方が確かに険しい。〈好きになれぬ職に就く暇人生になしと唯一子に言い残す/長尾幹也〉沁みる言葉だ。座右の銘にしたい。馬場あき子選〈「顔を見せろ」とうるさかった実家にも「帰って来るな」と言われるコロナ/上田結香〉来いも来ないも親心。〈失敗を話せばさらにその上の失敗を話す友のいる夏/高田真希〉失敗マウントの取り合い、という友情。

千葉聡『微熱体』書肆侃侃房

雨続きで滅入る日、『微熱体』を読む。〈教科書など鞄の底に押し込んで夏は海辺のホテルでバイト/千葉聡〉本の形がはみ出た鞄を持って毎朝海へ通う、光り。〈コンビニまでペンだこのある者同士へんとつくりになって歩いた/千葉聡〉創作に手を染めた罪深い二人だけどお似合いの二人として。〈二人して交互に一つの風船に息を吹き込むようなおしゃべり/千葉聡〉今そこで言わないと何かが破裂しちゃいそうなおしゃべり。〈半分だけポストに入れた朝刊は超夜型の天使の羽かも/千葉聡〉配達短歌のひとつの到達だろう。〈ボクサーと走る夜明けの海沿いの道 足音の残響を聞く/千葉聡〉定型を外れた「道」が際立つ。〈セロテープ引きだし続けているような雨音 渋谷は空に傾ぐ/千葉聡〉渋谷という湿気都市が好配置。角海老の裏手、東急ハンズ感がある。〈演劇論をたたかわせてもコカコーラ、アイスコーヒー見た目は同じ/千葉聡〉黒い液体、褐色に泡立つのは同じ。飲んでみないと分からない。〈真夜中の屋上に風「さみしさ」の「さ」と「さ」の距離のままの僕たち/千葉聡〉発見の詩。〈海岸へ続くレールに捨てられた手紙は雲の影に轢かれて/千葉聡〉海と空と大きな景のなかの手紙の小ささ、されど大事さ。