Mastodon

以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

「炎晝」『山口誓子句集』角川書店

〈手袋の十本の指を深く組めり/山口誓子〉怒りとして読めないのは手袋の手触りがあるからだ。〈秋の雲つめたき午の牛乳をのむ/山口誓子〉牛乳はちち、白さと濃さとが強調されている。〈メスを煮て戸の玻璃くもる冬となりぬ/山口誓子〉灰色の暗い寒さがある。視界が閉ざされたことによる寒さは〈冬の航荒れたり硝子みなよごれ/山口誓子〉にも。〈雪あはく畫廊に硬き椅子置かれ/山口誓子〉雪の日の画廊には不思議な静寂がある。〈ピストルがプールの硬き面にひびき/山口誓子〉「硬さ」の誓子、ダイヴィング五句のこの句と〈枯園に向ひて硬きカラア嵌む/山口誓子〉、前者は柔らかいはずの水面を「硬き」と言い、後者は「硬き」と言って新しさや冷たさを意味する。〈月光は凍りて宙に停れる/山口誓子〉月光の固化。〈夏の河赤き鐡鎖のはし浸る/山口誓子〉勢いのある夏の川ではなく、工業地帯の赤銹で澱んだ夏の河である。〈洗面盤白磁なり蟻のあざやかに/山口誓子〉あざといまでの黒白の対比。〈秋夜遭ふ機關車につづく車輛なし/山口誓子〉機関車には客車か貨車が続くはずであり、続くはずのものがないのは亡霊を見たかのようなゾッとする恐ろしさや空虚感がある。〈靑野ゆき馬は片眼に人を見る/山口誓子〉馬の眼球に人が映るなんて一瞬、その一瞬を切り取る。再生→一時停止→再生の流れだ。

暗くなり夕刊をとりに出し秋夜 山口誓子

中日歌壇中日俳壇2021年1月17日

島田修三選第三席〈図書館のレストラン暮れに閉ぢるとふ気に入りゐたるにこれも訃報ぞ/大谷登美子〉生活習慣が変わること、それも訃報なのだ。〈あんなにも親密だった人の名を半日かけて想い出す老い/水野千代子〉半日かける集中力がある。小島ゆかり選〈なわとびの中に急に入り来てさっと出てゆくような子育て/稲熊明美〉大縄跳びだろう。〈マジックをしてよと言う子生きていることがマジック君は生きてる/三上正〉なんでわれわれは生きているんだろう。栗田やすし選〈塵一つなき百畳の寒さかな/渡辺美智代〉大河ドラマ麒麟がくる」で織田信長が座っていた安土城大広間を思う。〈七日はや白磁の壺のうす埃/小沢芳治〉うす埃は正月七日の慌しさ、でもある。〈弓始紅一点の薄化粧/可知豊親〉弓道は女性が多いイメージがある。長谷川久々子選第一席〈華麗なる名を持つ花や冬夕焼/栗木かず〉評には薔薇とある。なんの花でも冬夕焼に負けない赤い花だろう。〈一つづつ捨てて減らして年用意/羽貝昌夫〉その一つ一つに思い出がある。旧年だけでなく人生の思い出が。

吉岡生夫『草食獣第四篇』和泉書院

新年俳句大会で〈ひいらぎの花列島に雲ひとつ/以太〉が会長入選句となったと知った日、『草食獣第四篇』を読む。〈つきあがりし餅の熱さをもろばこに移すつかのま臓器おもひぬ/吉岡生夫〉外科手術で切り落とされた臓器。〈花火より帰れるひとかざわめきのやがて大きくなる窓の下/吉岡生夫〉華やぐ声が潮のように近づく。〈その中の闇もろともに流れゆく空缶たのし浮きて沈みて/吉岡生夫〉「その中の闇もろとも」は想像外だろう。〈サンドイッチ炊き込みご飯またスーツ衣食とにかく簡便がよし/吉岡生夫〉サンドイッチも炊き込みご飯もそれだけで炭水化物・蛋白質・各種ビタミンを摂取できる。スーツは一着で朝から晩まで過ごせる。そういう暮らしを愛でる。〈関ヶ原をつはものどもがゆくあとは人馬の糞のさはにありけむ/吉岡生夫〉三方原での家康の脱糞を思い出した。〈山陽自然歩道を歩く昼ならばスーツが不審がらるるのみぞ/吉岡生夫〉この人、山道でもスーツなのか。〈眠りへと落ちゆくわれを待ち構へ夜を悩ます深海魚ども/吉岡生夫〉夢のなかの住人なのか、深海魚どもは。夢のなかの配達中にどうしても殺してしまう老婆のような。〈森永のエンゼルマーク、まろやかな尻のむかうに性のあるべし/吉岡生夫〉無性かもしれないけれど。

中日歌壇中日俳壇2021年1月10日

島田修三選第一席〈歪むとふ知恵を持たざる無垢のままメタセコイアの何千万年/前川泰信〉遺伝を知恵と表現したおもしろさ。古種への敬意がある。〈たどたどしき子の棒針に生き生きと余り毛糸の冬が始まる/山崎美帆〉「余り毛糸」と思ったけれどこれは「余り/毛糸」か。〈作る人いないと思ふエジプト展にミイラの作り方解説あれど/阿部智子〉そういえば展覧会のカタログを中日新聞から貰った。小島ゆかり選第一席〈からころと道に転がる落ち葉にも時の音がありきょうはフルート/丸山勝也〉昨日はピアノ、明日はシンバル。音に満ちた生活。〈植木鉢底にナメクジ棲みてをり人の心の隙間の湿り/後藤進〉人の注意の隙間でもある。栗田やすし選第二席〈店頭の石焼芋に呼ばれけり/山崎正憲〉甘い匂いを呼び声としたおもしろさ。〈立冬の雨に烟れり大伊吹/中道寛〉伊吹山だろう。厳かな佇まい。長谷川久々子選第一席〈灰色の雲に乗り来る冬将軍/藪内純治〉孫悟空や仙人めいている。でも灰色という色や飾り気のなさが冬将軍っぽい。第三席〈枯菊を焚く夕暮の音として/福井英敏〉音に着目しているけれどそれに浮き上がる光も匂いも当然ある。〈武者返し小春の空を支へけり/田上義則〉武者返しは扇の勾配をもつ石垣、軍事建築の優雅な一面を見た。

中島斌雄「樹氷群」『現代俳句体系』角川書店

久々の休み、中島斌雄を学ぼうと思う。〈ニコライに寒月かくれ坂となる/中島斌雄〉御茶ノ水ニコライ堂、月が動いたのではなく作中主体が坂を動き月が隠れた。〈吹雪きつゝ歩廊の時計みな灯る/中島斌雄〉人工の灯が吹雪を照らす。〈手に触れしポストの口も夜霧かな/中島斌雄〉このポストは差出函、街路の景だろう。〈シネマ出て夜の街淡き雪積める/中島斌雄〉映画鑑賞中に雪が積もったのだろう。自分の変化と街の変化とが共鳴していく。〈稿成らず黒く巨いなる夜の蠅/中島斌雄〉肥った夜の蠅は鬱気だろう。〈柚子を提げ傷兵とほき北へ去る/中島斌雄〉橙色が勲章のように光る。〈蟋蟀澄むかゝる地下鉄の壁ぬちに/中島斌雄〉蟋蟀はちゝろ、地下鉄はメトロとルビ、近代的交通手段に紛れ込んでしまった秋。〈林檎園妻が林檎を剥く音のみ/中島斌雄〉楽園感がある。

土岐友浩『僕は行くよ』青磁社

ただひたすらに眠い日、『僕は行くよ』を読む。〈図書館はあまりなじみのない場所で窓から見えるまひるまの月/土岐友浩〉異郷感の具象としての「まひるまの月」がややSFめいて光る。〈鉛筆の芯をするどく尖らせて「無」と書いていた西田幾多郎/土岐友浩〉なるべく無に近く、線が見えなくなるほど細くなるように。〈死んだ人は歩けなくても見ることはできるだろうか水無月の水/土岐友浩〉水無月という無水な月の水。死者の視力、それは無に有れという希望。〈なれの果て、とはどこだろう 自動販売機でぬるいコーヒーを買う/土岐友浩〉ちゃんと機能していない自動販売機、そしてその缶を持つ人は「なれの果て」っぽい。〈阪急の駅を降りればいつも冬休みのような街だと思う/土岐友浩〉阪急の駅は知らないけれど「冬休み」は分かる。クリスマスやお正月がある。暗さのなかに人工の灯。〈奄美大島に「カメラを止めるな!」のやたらと目立つポスターがある/土岐友浩〉かつて名瀬のシネマパニックという名前の映画館で「コンスタンティン」を観たのを思い出す。〈この店のパンが好きだな虹の色よりたくさん種類があって/土岐友浩〉数の数え方が「虹の色」というのは素敵だな。〈六月は蛇を隠しておくところ 雨のやまない校庭に行く/土岐友浩〉六月とは校庭の茂みのことかもしれない。〈飛び石の四角いほうに乗ってみる 街がまぶしく見えないように/土岐友浩〉脈絡のなさが心地よく思えてくる。〈われわれはなぜこの土地を守るのか 半月がハルハ河に沈む/土岐友浩〉と〈名ばかりの衛生兵がただひとり星のあかるい砂漠をあるく/土岐友浩〉の間にある影が愛おしい。〈暗すぎる五月の橋の真ん中で精神のない巨獣をおもう/土岐友浩〉橋の真ん中は川の上、都市のなかにいて都市とは隔たる場所。そんな境界に肉体のみの巨獣としての鉄橋を思う。〈たましいのように小さな花だけを咲かせる国の空港に雨/土岐友浩〉そんなささやかで貧しい国でありたかったよ。

深海のひかりを届けようとして青い絵の具が足りなくなった 土岐友浩

 

 

斉藤斎藤『渡辺のわたし』港の人

中日歌壇と中日俳壇の年間賞が発表になった日、『渡辺のわたし』を読む。〈隣人のたばこのけむり 非常時にはここを破って避難するのだ/斉藤斎藤〉台風でも破れちゃう避難用扉。〈池尻のスターバックスのテラスにひとり・ひとりの小雨決行/斉藤斎藤〉池袋ではダメ、池尻じゃないと。〈目のやり場吉岡さんは肉でしてつねに部分がふるえています/斉藤斎藤吉岡里帆で。〈シルバーシートに腰掛けておる三人が神の視点で鈴木・鈴木・鈴木/斉藤斎藤デスノートの死神の視点で。〈うつむいて並。 とつぶやいた男は激しい素顔となった/斉藤斎藤〉決意の果てに後悔もあった。〈母方のじいちゃんよりもばあちゃんが二ヶ月ながく死んでいること/斉藤斎藤〉そちらを基準になさる心境がある。〈ゆうやけのなか川べりの道をゆき止まれと言われ止まる全体/斉藤斎藤〉夕焼けの赤に止まれの白が映える。それは部分なのに全体のような強迫さを持つ。

ぼくはただあなたになりたいだけなのにふたりならんで映画を見てる 斉藤斎藤

中日歌壇中日俳壇2020年12月20日

小島ゆかり選は浜松市が多い。林建生さんが〈お互いに理解できぬと理解した夜空はきれい星は流れる/林建生〉〈白は白黒も時には白となり玉入れみたいにならぬ世の中/林建生〉とリフレインの皮肉が効いた短歌が一首ずつ入選している。島田修三選第一席〈給食費集金袋を渡す時の秋男の悲しい顔を忘れず/佐々木剛輔〉「秋男」という名前が好き。第二席〈どの道を下りて来たのやら熊の子は自動ドアより電気屋に入る/唐沢まさ子〉伊那市より。評で気付いたけれどちゃんと自動ドアから入ったというおかしさがある。〈住所録へ斜線一本引く今日のあの山この谷秋は深まる/北村保〉水平の「斜線」と、垂直の「あの山この山」。〈聖なる夜子の枕辺にプレゼント息潜め置きし想ひ出温し/藤井恵子〉ちょっと早めのクリスマスかと思ったら「想ひ出」だった。小島ゆかり選第二席〈さざめきは遠く来たれり夜の海のごとく静かな甘藍畑/酒井拓夢〉〈雨粒のつくる水紋あえかにて鳰の潜きの円に吸はるる/石原新一郎〉〈かなたより飛び来る点の羽となり青鷺となり田んぼに着地/大庭拓郎〉は浜松市より。夜の畑の静けさのなかの動き、冷たい雨のなかの冬の水の細かな動き、死んだような冬の田の青鷺の動きを描く。〈いつだってポストは赤く此処に在る秋めく街が追いついただけ/高津優里〉このポストは受箱ではなく差出函。〈通夜の席百人一首流れおり遺影を包む衣のように/伊藤孝男〉決まり字の前の呼吸とか気になりそう。栗田やすし選第二席〈湯気纏ひ産まれし仔牛冬の朝/山田康治〉〈病む犬の寝息確かむ夜寒かな/野崎雅子〉芭蕉臨終の場のような緊張感が「夜寒」にはある。〈塔の影小春の水にゆるびをりヾ/中西定子〉塔が高層マンションとかだと面白い。長谷川久々子選第二席〈四方に山まづは北より眠りそむ/吉田弘幸〉「北」なのか。〈山の子の下校は芒分け独り/猪きよみ〉俳号だろうか、猪が効いている。

山崎方代『こんなもんじゃ』文藝春秋

「文芸磐田」第46号の詩部門で第二位と知らされた日、『こんなもんじゃ』を読む。〈机の上に風呂敷包みが置いてある風呂敷包みに過ぎなかったよ/山崎方代〉期待はしていた。〈親子心中の小さな記事をくりぬいて今日の日記を埋めておきたり/山崎方代〉小さな新聞記事をくりぬきたくなった。〈コップの中にるり色の虫が死んでおるさあおれも旅に出よう/山崎方代〉魂の旅へ。〈せきれいの白き糞より一条の湯気たちのぼるとき祈りなし/山崎方代〉微細を観る目。〈牛乳の中に飛込みし蠅の黒いのは明晰にして知らぬものなし/山崎方代〉ヴィヨン、と思ったらやはり〈汚れたるヴィヨンの詩集をふところに夜の浮浪の群に入りゆく/山崎方代〉があった。〈べに色のあきつが山から降りて来て甲府盆地をうめつくしたり/山崎方代〉景が壮大。〈飛行機のプロペラの音高ければ見えぬ眼をもて空仰ぐ父/山崎方代〉プロペラのP音が楽しい。〈ねむれない冬の畳にしみじみとおのれの影を動かしてみる/山崎方代〉黝い部屋で。〈とぼとぼと歩いてゆけば石垣の穴のすみれが歓喜をあげる/山崎方代〉すみれをして歓喜せしめるのは「とぼとぼ」のため。〈そこだけが黄昏れていて一本の指が歩いてゆくではないか/山崎方代〉ゾワッとする。〈遠い遠い空をうしろにブランコが一人の少女を待っておる/山崎方代〉心の中に棲んでいた少女かもしれない。

かくれんぼ鬼の仲間のいくたりはいくさに出でてそれきりである 山崎方代

中日歌壇中日俳壇2020年12月13日

中日俳壇の長谷川久々子選にて〈浮寝鳥ぶつかりあつて人歩く/以太〉が入選していた。島田修三選第三席〈外国の力士の本名番付表に長きカタカナ呪文のやうなり/山下豊子〉見慣れない外国語を呪文と読む発想。〈小気味よく絹糸はじき縁側に孫の晴れ着の丈を出しをり/松岡準侑〉七五三かな。〈魚屋でノルウェー産の鮭を買うまだ見ぬ白夜を連想しつつ/豊島芙美子〉常連さん、鮭の赤身が白夜に映える。小島ゆかり選第一席〈蕎麦待てば有東木沢の音激し音より出でて山葵負ふ人/倉橋正敏〉格調高い。第三席〈ゆつくりと遮断機上がり冬の陽を分け合ふ如く人ら歩めり/鈴木昌宏〉しばらく忘れていた群衆のやさしさ。〈親いもに子いもまとわり子のいもに孫いもまとわる里いもを掘る/佐々木剛輔〉常連さんの芋尽し。栗田やすし選第三席〈末枯や画鋲ばかりの掲示板/中田英子〉画鋲はきっと錆びている。〈棲み慣れし路地奥石蕗の花明り/藪内純治〉石蕗の花の明るさと葉の暗さの対照が異界を作る。〈息白く駅頭ライブ始まれり/可知豊親〉歌声が白息となる。長谷川久々子選第二席〈凩の追尾を断ちて我が家かな/水野謙二〉「追尾を断ちて」は扉を閉めたのだろう。〈吟醸の眠れる蔵の冬の虫/光崎賢治〉の虫は酵母だろう。

木下龍也『つむじ風、ここにあります』書肆侃侃房

NHK俳句短歌全国大会から内定通知が来た日、『つむじ風、ここにあります』を読む。〈公園の鉄の部分は昨晩の雨をゆっくり地面に降らす/木下龍也〉そういうことがあるかもしれないと思わせる。「降らせる」が巧み。〈B型の不足を叫ぶ青年が血のいれものとして僕を見る/木下龍也〉人は目的のためだけに他人を見る。〈風に背を向けて煙草に火をつける僕の身体はたまに役立つ/木下龍也〉人というより壁として。〈コンビニのバックヤードでミサイルを補充しているような感覚/木下龍也〉現代文明と腎臓を打ち砕くミサイル。〈愛してる。手をつなぎたい。キスしたい。抱きたい。(ごめん、ひとつだけ嘘)/木下龍也〉村上春樹の再現である。〈カードキー忘れて水を買いに出て僕は世界に閉じ込められる/木下龍也〉世界は部屋以外のすべて、すべてのなかにいるのになぜか落ち着かない不思議。〈バスの来る方ばかり見てバスの行く方を私は見ていなかった/木下龍也〉バス停あるある。

中日歌壇2020年12月6日

NHK短歌の日、竹取りの翁と羽田空港の落差がおもしろい島田修三選第一席〈竹取りの翁になりて光る孫羽田空港に今見つけたり/豊田芙美子〉と角ばった頬骨を思わせる第三席〈まだ渋の抜けぬ柿の実を思はしむ青年の主張すがしみて聴く/久米すゑ子〉は、よくお名前をお見かけする。〈正門に机積み上げしバリケードどの派も通る裏門愉しかりき/伊藤孝男〉裏門にうらとルビ、こんな時代もあった。小島ゆかり選第二席〈母親に歌聴かせてと言われても歌わぬ高一風呂場で歌う/村田尚子〉素直じゃない好漢。〈獣害に備え四方に網を張り檻に入りての柿の収穫/前村治美〉獣害を恐れるのは柿ではなく自分であるかのような諧謔がある。

大口玲子『トリサンナイタ』角川書店

サンタクロースへ手紙が届かなかった日、『トリサンナイタ』を読む。〈筆先を水で洗へばおとなしく文字とならざる墨流れたり/大口玲子〉「文字とならざる墨」という起こらなかった未来で規定されるものの描写に興味がある。〈イースター・エッグを包む薄紙を花びらむしるように解きたり/大口玲子〉「むしる」は楽しさ。〈花束はビニール袋に捨てられてそのわきにあをき泉湧きをり/大口玲子〉泉の青に花束のたぶん色とりどりが映える。〈男の子ですよと言はれひとごとのやうに曖昧に頷きたりき/大口玲子〉我が子とはいえ性別は確かにひとごとだ。出産後なら性別なんて二の次だ。〈指さして「みづ」と言ふ個に「かは」といふ言葉教へてさびしくなりぬ/大口玲子〉言葉を知って失うものがある。〈たかぶりて子は手を振れり消防車救急車ばかりのサービスエリア/大口玲子〉はたらく車が好きな子供と被災地へ向かう緊急車両の群の温度差がある。

一時間六百円で子を預け火星の庭で本が読みたし 大口玲子


bookcafe 火星の庭

事任八幡宮のことどひの里

東遠へ赴いた。静岡県掛川市八坂に、遠江国一宮の名を小國神社と分ける事任八幡宮がある。

事任八幡宮

鳥居をくぐらず右手、事任八幡宮の東へまわり細い坂をのぼると「譽田」と表札の立つ民家がある。祭神の応神天皇こと譽田別命に由来する姓だろう。茶畑を右手に奥へ進むと奥津城、つまり社家の墓地があり、その裏手の石段を降りると逆川の水辺、ことどひの里である。事任八幡宮の裏手に聳える禁足地の山の向こう側になる。ことどひの里には逆川の守神として龍神社が鎮座する。


磐笛の里の龍神社

龍神社の手前からも川に降りられるけれど、その奥から岩場を伝っても川へ降りられる。禊場とされている。


ことどひの里の禊場から見た逆川

禊場の反対側は急峻な山となっており、たぶん禁足地へ繋がるのだろう。清冽な川に悪疫も流れたように感じる。


事任八幡宮の禁足地

茶の花や言葉は水をかすめ散る 以太

『東北大短歌 第6号』

事任八幡宮へ行く日、北大短歌でも東大短歌でもない東北大短歌を読む。〈魚ではないもののため海水に近しい味でこぼれる涙/青木美樺〉魚と海水は実景としてはないけれど感情の基底に流れている。〈かんたんにこわせるからだ薬局のまあるい窓に月を見ていた/石原梨子〉脆い身体と永遠の天体と。〈橋の影をわたしの影が渡りゆく休学届を出した帰りの/岩瀬花恵〉俯きがちな視線は離人症的な感性に近い。〈幸せになれるでしょうかピーマンの種は食べてもいいのでしょうか/牛越凛〉質問一と二の落差。〈そこにいるあいだ言葉はいらなくて ひかりのにおいでお喋りしている/臼井悠華〉朝の陽、舞う埃のかがやきが見える。〈したあごを窓枠にのせ いつからか撮らなくなったただの夕景/如月妃〉ときめかない夕景、心の反映として。写真もまた夕景の反映である点が面白い。〈ツナ缶をてのひらひとつで開けられる文明にいてずっと楽しい/工藤真子〉楽しく生きる秘訣は今に充足すること。〈冬であらうと冬でなくともつめたさを保てる窓の性を思ひぬ/越田勇俊〉「窓の性」ってすごいな。とある固体の流動性として。〈wi-fiが繋がらないと振ってみる 水面がゆれる 遠くへのびる/高梨ふみ〉何か目に見えないものを遠くへ飛ばすため、振る。力はいらない。〈デパートでもらったヘリウム一つずつ飛ばしていって大人になった/濱菜摘〉大人になるためにいくつのヘリウムを飛ばしたか。風船をヘリウムというのは意外な換喩。〈君ならば恋人候補になっていい偽証罪から恋を始める/番澤芹佳〉恋人候補は恋の始まりではなく。

「あ」を打てば「あいしてい」の変換に次の愛さえ強いられていて 濱菜摘