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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

「夢谷」『柿本多映俳句集成』深夜叢書社

福みつで餃子を待ちながら『柿本多映俳句集成』の「夢谷」を読む。〈薔薇剪りしわが前をゆく救急車/柿本多映〉薔薇の色と救急車の回転灯とその傍らにある死の予感、〈いつせいに椿の落ちる椿山/柿本多映〉虚実はわきへおいて。椿の落ちる前を椿山と呼ぶのは分かるとして、しかし「いつせいに」椿の落ちたあとも椿山と呼べるだろうか、落椿を敷き詰めた山も椿山と呼べるだろうか、という点で読み手が試されている。〈秋深む駱駝はまぶたばかりなり/柿本多映〉は一瞬だけ駱駝の眼球に成り代わっている。〈ひるがほに一瞬昏き天地かな/柿本多映〉視点の一瞬の集中による昏さ。

瞑れば花野は蝶の骸かな 柿本多映

佐藤文香『君に目があり見開かれ』港の人

三月の有給休暇取得は難しいと知った日、佐藤文香君に目があり見開かれ』港の人を読む。〈目薬の鋭利な水や夜の新樹/佐藤文香〉落ちる鋭利な水と枝先へ染みのぼり薫る水と。〈紫陽花や心は都営バスに似て/佐藤文香〉確かな順序による落ち着きを払った態度、〈夕凪にすこしむかしの怪獣は/佐藤文香〉スタイリッシュではない、着ぐるみのようなふてぶてしさ。〈冬晴れて君宛の手紙はすべて君に/佐藤文香〉不確かな郵便制度にまったく疑いを持たない、澄み切った瞳。

さへづりに濡れてはじめの樹へ戻る 佐藤文香

千原こはぎ『ちるとしふと』書肆侃侃房

宅急便が呼び鈴を鳴らさない夜、千原こはぎ『ちるとしふと』書肆侃侃房を読む。〈わたししか音を立てない深夜二時ことり、とペンを丁寧に置く/千原こはぎ〉深夜の無音さを「ことり」と音で表現している。〈なにひとつ創生しない営みに「あい」なんて音ひびかせないで/千原こはぎ〉アイは愛の音読みだった。〈溢れだすものを残らず書き留めて雨の止まないノートをつくる/千原こはぎ〉「雨の止まない」の止めどなさ。〈牛乳がしずかに膜を張るようにあなたを少し拒んでいたい/千原こはぎ〉ほとんど抵抗することのない白い膜、「拒んでいたい」とは拒みたくない。〈罫線も方眼もないあなたとのこれからを自由帳なんて呼ぶ/千原こはぎ〉恋愛の非ユークリッド幾何学。〈いろいろを省略すればほぼ妻と呼ばれてもいい四月の朝に/千原こはぎ〉「いろいろ」ゆえに妻となれないでいる。

こなざとう舞う朝は来て追熟のりんごの頬で駅まで歩く 千原こはぎ

佐藤りえ『景色』六花書林

立春に、佐藤りえ『景色六花書林を読む。〈君は少しこはれてゐるね夏の月/佐藤りえ〉夏の月とは破滅へ続く荒涼の色。〈横浜も新横浜も驟雨かな/佐藤りえ〉川崎と新川崎だと工場地帯情緒があり、横浜と新横浜だと港町ならではの異国情緒がある。〈茄子持って地震速報見てゐたる/佐藤りえ〉茄子の濃い紫にこめられた不安、〈海老名まで各駅停車秋の虹/佐藤りえ〉そんなに遠くまで行かない小田急線。でも新宿から海老名はちょっとした旅行。〈もろこしや月の光で地図を読む/佐藤りえ〉玉蜀黍の背の高さに冒険の端緒がある。〈ものの芽を数へるくらし公園に/佐藤りえ〉ホームレスめいて。

望月に小便かかる体位かな 佐藤りえ

上田信治『リボン』邑書林

浜松市民文芸第65集の詩部門で市民文芸賞をもらえると通知が来た日、上田信治リボン邑書林を読む。〈夜の海フォークの梨を口へかな/上田信治〉「夜の海」と梨の水気の距離感が夜の物語を織りなす。「口へかも」という口語的表現も良い。〈吾亦紅ずいぶんとほくまでゆれる/上田信治〉吾亦紅と「ゆれる」はありきたりだけれど「とほく」と距離を示した意外さ、「とほく」は時間あるいは心の隔たり。〈囀や駐車場いっぱいの石/上田信治〉駐車場の石は、声と存在の密度だ。〈水道の鳴るほど柿の照る日かな/上田信治〉形容の意外さ、しかし蛇口の乾いた鳴りは秋めく。〈花きやべつ配電盤が家のそと/上田信治〉「花きやべつ配電盤」の字面だけで佳い。〈昼月の雲にまみれて丘の町/上田信治〉一日中雨の降っていた町の、見上げたら晴れて月が出ていたような、ぼんやりとした時間が流れる文面、画数の控えめな漢字群。〈花の雨カタヤキソバの餡に烏賊/上田信治〉絶対に人のいる句だけれど人の姿が見えない、たぶん「烏賊」が注意を逸らさせて、人を消している。認知の隙間を射抜くような技で。

木犀や水をもらつて白い犬 上田信治

奥名春江『春暁』文學の森

腹痛の続く夜、奥名春江『春暁』文學の森を読む。〈振り売りの空荷で帰る花菜風/奥名春江〉の振売は〈振売の雁あはれなり恵美須講/芭蕉〉で見られるような行商の形態、花菜風に心の軽やかさや春の穏やかさがある。〈さへづりの中なる始発電車かな/奥名春江〉始発電車に生命の端緒を委ねたかのような。〈月光のおもしおもしと花芒/奥名春江〉「おもしおもし」は重し重しだけではなくおもしろしおもしろしでもある。〈啄木忌置いてころがるボールペン/奥名春江〉ままならない生活として。〈口中のしきりに渇く羽蟻の夜/奥名春江〉たぶん空気中の湿気が羽蟻の飛行に費されている。〈詩を成すにすこしの狂気雪ふれり/奥名春江〉気が「ふれ」るのであり、雪の連続という怪しさでもある。〈もの申すなり赤い羽根つけてより/奥名春江〉社会へ貢献した証を身につけることですぐ気の大きくなる小人という滑稽さ。

木の葉散り尽くし青空残りたる 奥名春江

赤野四羽『夜蟻』邑書林

お世話になったけれど北へ飛ばされた悪い先輩と労組の会合で再会した日、赤野四羽『夜蟻邑書林を読む。〈春猫の去勢にゆく車中狭し/赤野四羽〉「車中狭し」という実感が春猫の去勢へゆく心境と重なる。〈夜という場所に何度も月がある/赤野四羽〉時間の経過ではなく「夜という場所」という空間として夜を捉えた。その空間を現実に繋ぎとめる月。〈やわらかに大気を結び雁渡る/赤野四羽〉鳥の飛翔を「大気を結び」という景の大きさが拡げる。〈ゆっくりと心臓のなる蒲団かな/赤野四羽〉「なる」は稔る、蒲団の果実としての心臓。〈むらさきが茶色にみえる秋の暮/赤野四羽〉光の具合だろうけれど、いずれもくすんだ色合いが晩秋。〈秋高しきれいな顔を放り投げ/赤野四羽〉アンパンマンの新しい顔。〈永き日に肩甲骨のみぎひだり/赤野四羽〉体が春へ開く、翼のごとく。〈郵便配達人宛先はもう枯野/赤野四羽〉「もう枯野」という鮮やかな厭世、〈春だから心の闇のなかも春/赤野四羽〉当たり前だけれど敢えて言う効果、〈とおくからひとをみているおおかみよ/赤野四羽〉仮名に開かれたことから「とおく」は距離というより心や時間の遠さ。

告発や反社会的牡蠣フライ 赤野四羽

竹岡一郎『けものの苗』ふらんす堂

六連勤最後の日、竹岡一郎『けものの苗ふらんす堂を読む。〈雀の子風俗嬢が米をやる/竹岡一郎〉コンビニ弁当の油でテカテカ光る米粒を箸で飛ばして「やる」。社会の底を覗く視線がある。〈僕の巴里祭ツナ缶開ける音だけして/竹岡一郎〉巴里の羅甸語地区のホステルなどは壁や扉が厚く、音から閉じされている、「僕の」と限定されるような、感じがする。巴里の建築の重々しさと「ツナ缶」の蓋の弱々しさとの比較が良い。〈軍払下品として人魚冷ゆ/竹岡一郎〉動物兵器か、慰安用の「副官」か。〈主権即ち人魚に在れば吹雪く国会/竹岡一郎〉死者の民主主義めいて、主権在「亜」民。〈竹馬を基地のフェンスに立てかける/竹岡一郎〉遊戯と軍事の隣接という日常、〈あかつきの雪女抱く雪女/竹岡一郎〉男の世界も人間の世界も、夜のように邪悪で、だからこそあかつきは、優しく抱く。〈夏痩せて未来しか見ぬ老女かな/竹岡一郎〉未来しか見ていないのはもはや老女と言えないのでは、「夏痩せて」が呪術的。

灯台の合鍵として雁の羽 竹岡一郎

西村麒麟『鴨』文學の森

『現代俳句』ティータイム欄に拙文「おとな乳歯」が載った号でそのティータイムの休止を知った日、西村麒麟文學の森を読む。〈獅子舞が縦に暴れてゐるところ/西村麒麟〉「縦に」が意外、秩序だっているように見えて実は箍が外れている。〈足裏のツボみな痛し花曇/西村麒麟〉反射区の図の鮮やかさが花のころ。〈黴の宿映りの淡きテレビあり/西村麒麟〉未だにブラウン管なのが黴の宿(昭和に建てられた)。〈枝豆は書き損じたる紙の上/西村麒麟〉紙の上だから枝豆は特別に扱われているのに特別感のない「書き損じ」。ただのおつまみ、添え物としての枝豆。〈帰宅して気楽な咳をしたりけり/西村麒麟〉人前では苦しそうに。〈舌の上にどんどん積もる風邪薬/西村麒麟〉粉薬、葛根湯の描写が巧み。水で流しても残りそう。〈夕焼の染み込んでゆく佃島/西村麒麟〉佃煮からの連想。

螢の逃げ出しさうな螢籠 西村麒麟

鉄塔の夢

底面が六畳ほどある直方体の鉄塔を昇っている。鉄塔の外側には隙間から下が覗ける鉄階段が据え付けられている。その鉄階段を集団で螺旋に昇っている。ディズニーランドの待ち行列のようになかなか上に進まない。前後の人と談笑する。鉄塔の頂きまで昇りつめる。そこには何もない。係員が、翼長の短い、白い、簡素なハングライダーを手渡す。これで地へ下りるらしい。そんなに高く昇った記憶がないのに、地から数百メートルの高さがある。林が小さく見える。後ろの行列がつかえている。覚悟を決める。ハングライダーの後部に両腕を吊るし、鉄塔を蹴る。

春近し飛ぶというより落ちている 以太

松下カロ『白鳥句集』深夜叢書社

雇用保険は今どのくらい貰えるのかについて考えた日、松下カロ『白鳥句集深夜叢書社を読む。全句白鳥というわけではなく〈アパートの外階段を鳥渡る/松下カロ〉のような下町風情な鳥の句もある。〈海といふガーゼ一枚白鳥來る/松下カロ〉ガーゼ化した海は何か異物を飛来させる。〈刀疵あり白鳥の奥ふかく/松下カロ〉関ヶ原の戦いで斬られました。〈白鳥に少年の腕阿修羅像/松下カロ〉非天こと阿修羅像の胴体は白鳥だった。〈繃帶がほどけ白鳥ゐなくなる/松下カロ〉中身はなかった、この世界のはじまりから、ね。〈白鳥のむくろ忽ちすきとほり/松下カロ〉銀河ステーション斜め横のできごと。〈ジオラマの川を白鳥遡る/松下カロ〉アメリカの鱒釣り的な川を遡る。

日曜日白鳥にある膝小僧 松下カロ

「鏡騒以後」「補遺」『八田木枯全句集』ふらんす堂

燧石を買った雨の日、『八田木枯全句集』を読み終わる。〈水鳥はうごかず水になりきるや/八田木枯〉浮寝鳥の寝とは水への同化への意思、という物語。〈朧とはたとへて言へば二枚舌/八田木枯〉朧はいたずらに枚数を重ねない、重ねて二枚くらい。〈蜥蜴走す時計の裡の空間を/八田木枯〉「時計の裡の空間」に時間はまだ関わっているか、蜥蜴は無時間を走るのか。〈虹のかけら拾ひにゆくは死んでから/八田木枯〉死ぬのは自己、虹に触れられるのは死後、〈夕燒に最惡の蝶現はれし/八田木枯〉「最惡の蝶」という字面が強い。〈オートバイ黒い卵を産み落とす/八田木枯〉たぶんハーレーダビッドソン

飲む水にリアリティーあり不死男の忌 八田木枯

佐山哲郎『娑婆娑婆』西田書店

雹降りで指が濡れ悴む日、佐山哲郎『娑婆娑婆』西田書店を読む。〈魚の氷に上る坐薬の副作用/佐山哲郎〉氷に上がる魚と直腸に上がる坐薬の対比、副作用はヒリヒリとするような言語体験。〈母の日のいびつでなまぐさい鞄/佐山哲郎〉母と鞄と、何かを容れるものとして。〈四万六千日未亡人サロン/佐山哲郎〉浅草や鶯谷あたりにありそうな死と隣合わせのサロン、〈くちびるとくちびる物の音澄めり/佐山哲郎〉唇は触れ合って声となる。しかしそれは人体という物の音である。秋めいて。〈男郎花胸に一物背に荷物/佐山哲郎〉語呂が良く「背に荷物」が滑稽である。〈ぢつと見てゐる大小の雪女/佐山哲郎〉彼岸から、姉妹か母娘か。〈元旦や見渡す限り信号機/佐山哲郎〉元旦の東京で動いているのは信号機くらいかもしれない。〈恵方へと歩めば袋小路かな/佐山哲郎〉せっかくの恵方なのに起点が悪かった、無念。

逝く春を交尾の人と惜しみける 佐山哲郎

吉川宏志『石蓮花』書肆侃侃房

入野協働センターでボードゲームをした日、妻の運転に揺られながら吉川宏志石蓮花』書肆侃侃房を読む。〈パスワード******と映りいてその花の名は我のみが知る/吉川宏志〉隠された花の名が頭から離れない。オミナエシか。〈吹き口をはずしてホルンの唾を抜く少女は秋の日射しのなかで/吉川宏志〉発表会か、練習か、無思想と静寂の時間、美しい時間。〈銀紙のように静けし夜の更けにアルバイトから戻りたる娘の/吉川宏志〉銀紙の皺はもう二度と戻らない、そんな夜の時間を過ごしてきた娘の帰宅。〈夏つばき地に落ちておりまだ何かに触れたきような黄の蕊が見ゆ/吉川宏志〉死ぬ定めにあってなお瑞々しい黄色の行方は。〈剥かれたる蜜柑の皮ににんげんの指のかたちは残りていたり/吉川宏志〉化石のように。〈どれもみな鳥の内部をくぐりたる桜の色の卵に触れつ/吉川宏志〉桜は花を想像させる、生命の色。

わが家にて性のシーンの撮られしを初めて知りぬ箪笥が黒い 吉川宏志

「鏡騒」『八田木枯全句集』ふらんす堂

雨の日、「鏡騒」『八田木枯全句集』ふらんす堂を読む。〈大冬木そらに思想をひろげたる/八田木枯〉純粋な論理である思想は、冬木の寒々しさに似る。〈蝶を飼ふ人差指はつかはずに/八田木枯〉人差指は対人のための指ゆえに蝶には行使しない。〈春よりもわづかおもたきかすていら/八田木枯〉春とカステラの重さ比べ、甘さや穏やかさを比較する。カステラの重さはそんな曖昧さ。〈原爆忌折鶴に足なかりけり/八田木枯〉原子爆弾による身体の喪失を思わせ、かつ千羽鶴により現実的に起こりうる事象の取り合わせ、しかし意外さ。

鶴のこゑ繪具をしぼりだすごとく 八田木枯